--- 鷹取学園20周年資料 ---


20周年記念 処遇事例まとめ
〜事例報告をする意味〜
                           鷹取学園 副園長 紙野文明
はじめに
平成12年度で鷹取学園は20周年を迎える。当初より重度、最重度の知的障害者処遇を目的に運営がなされてきた施設である。
20周年を迎えるについては、多くの皆様方の御支援、御協力を頂き、今日があることを先ず感謝したい。
開園当初に山積みしていた園生の問題点が現在に至って大変良い状態に変化していることを思いみるとき、この度の機会に是非報告すべきであるとの結論に達した。
園生の状態が良い方向に変化した要因としては、次のことが考えられるる。開所当初は何から手をつけてよいか分からない程荒れ放題に荒れた学園であった。いろいろな問題行動を抱えていた園生に対し、少しでも本人達を認めていく手段がないかを手探り状態で探してきた。知的障害程度を考慮したグループ設定から、重複する他の障害を考慮した班別作業体制を作り上げるのには色々な困難もあった。いつも注意ばかりを受けている園生に、少しでも誉める言葉を投げかけられれば、そのためには一人一人の可能性を発掘して行くことであった。
「叱ることより、先ず誉める」を目標に、一歩一歩進めてきた。一人一人が成長して行くなかで、5年、10年の時間が経過する中、徐々に学園全体が安定してきた。もともと自由な学園生活という雰囲気の中で、個人個人に対する処遇目標を設定し、指導・訓練に取り組んだことが、徐々に効果を表した。先ずは作業訓練からの出発であった。生活指導面はできないことを無理に教え込まなくてはならない結果になるため、できる可能性を見つけやすい作業指導に力を入れた。作業指導で少しでも成長できればそれを生活面に生かして行くという方法を繰り返しやって来た。生産性の期待できない重度知的障害者への作業指導は始めから意味を持たないと考えられ安いが、生産量は期待できなくても、園生個々人が自分のできる作業を自覚し、納得し、満足し、自信を持ち、情緒安定につながっていったことは最高の成果であった。個人個人の問題行動の減少が、学園全体を安定した生活の場所と変えていった。よい雰囲気に作り上げられた学園環境が、更に園生に対して良い成長をもたらす結果となった。このような相乗効果は今も続いている。
処遇の中でも特に難しい精神障害を重複している園生に対する情緒安定については、昭和62年より当園の嘱託医として就任され、今日まで治療に当たられている糸井孝吉先生の力は甚大なるものである。
小児自閉症として長い間扱われて来た園生が大人になっても、旧態依然として子供扱いの治療を受けていたような例では、糸井先生の治療方法に代わり、急激に良い状態に向かった。難治性の癲癇発作の人達についても、今日では日々心配するような発作も起きず生活できている。糸井先生が嘱託医として就任された昭和62年当時、もし当園における精神障害を持つ人達へ精神科治療が図られていなかったと考えるならば、当園全体の今の安定した姿は無かったと言える。情緒安定がみられてはじめて指導・訓練の成果があった。
今や「指導・訓練」という段階は過ぎて、「処遇」という言葉の方が当園の場合ぴったり来るようになった。今後は高齢化の問題が生じ、生活の中で「介護」という言葉が当たり前に使われる状態になると思われる。
早い時期から個別処遇といった方法を採用してきた事が、これ迄の結果をみたと言える。この度の企画で、処遇に関する報告を実施することが、いろいろと御世話になった皆様方に対する最善のご恩返しであると思う。
学園で今日までやってきた方法が全て正しかったかどうかは分からないが、当園で生活している園生が伸び伸びと明るく、安心して生活している姿を見るとき、間違ってはいなかったと思える。
過去19年間の資料を、現在当園で働いている職員でまとめあげてみた。過去の状態を知らない職員が多い中、過去のデータを引き起こし確認していく事は大変な労働であった。そのような中でのまとめの意味は大きなものがあった。19年間にはいろいろな職員が園生の学園生活を支えてきた。その時々に大切な事として記録された色々な過去の日誌や年間まとめ、チェック表、評価表等の全データからまとめられたものが、今回の処遇報告(事例報告)であるということの重みを切に知って頂きたい。

1.処遇に関する事例報告について
鷹取学園20周年記念として、「処遇に関する実践報告」を残すことになった。
今まで、処遇現場に居ていろいろな体験をして来た。いろいろな文献、資料にも目を通して来た。しかし、知的障害者が本当にこのように良くなった、こういった考え方、方法が確かに良い結果を生んだといった実践事例は少なかった。
ほとんどの場合は、単発的な短期での処遇成果を発表したものが多かった。
長期にわたって施設内での入所者の変化を記録してまとめたものを、見る機会は滅多になかった。
そこで、この度は鷹取学園で実際に処遇した実践結果を紹介させて頂くことになった。

2、学園設立の経緯
この話をするためには、当園の開所理由にまでさかのぼって話さなければならない。ここ福岡県直方市には特殊教育が早くから始まり、県立養護学校も県下では一番早く、昭和49年から開校していた。そして、多くの卒業生が巣立って行った訳だが、その中に卒業しても行くところがなく取り残された人達がいた。他の卒業生のように行くべき施設がないのか。これが、重度、最重度知的障害の子供を持つ保護者たちの悩みであった。是非とも施設を建てて欲しい、そういう保護者からの熱望を受けて、建設されたのが当鷹取学園であった。昭和56年当時は未だ、重度棟と言われるものも少なく、当然、更生施設の一般棟に色々な障害を重複した重度知的障害者が入所して来た。

3.入所対象者
重度の知的障害に加えて、精神分裂病、パニックを起こす自閉症、身体障害、言語障害、聴覚障害、難治性の癲癇発作を持つ人、興奮型の自他傷行為をもった人、無断外出のある人等、考えてみても大変な状態からの定員50名の出発であった。
園生全員がばらばらの状態で、学園内は秩序もなく、自治会を作ろうにも不可能の状態であった。自治会については、現在も園生だけで集団を運営していける態勢ではない。
開園当初に先ず切望したのは、集団行動の手初めとして、食事前の「いただきます」を全員で合掌できるようにするということからの出発であった。
それ程までに、集団で動くことが困難であった入所者が、5年目の昭和60年の12月に定員20名の重度棟を増員できるまでに変化した。
平成7年には6名の定員増で定員76名となり、他に4名の短期入所者の受け入れが可能になった。

4.入所者の変化
入所当初に見られていた色々な問題行動も数年後にはそれなりに改善され、一般的な中軽度の園生がいる施設同様の方法で施設運営もできるようになった。
知的障害がよくなることはないが、現在では見学に見えられた方から、作業状態を見て、「どこに重度さんが居るのですか」といった質問を受けるまでになった。
職員として、今までやって来た中で一番嬉しく感じる時は、保護者自身の声として、「こんなことができるようになった」、「親として、諦めては駄目なのですね」、「まだまだ、成長しますね」といった言葉が聞けるときである。

5.報告の意味
知的障害者の処遇報告を外部に向けてすることは、なかなか難しい。一般的にはすぐに「差別問題」といったふうに受け取られ処理されやすい。
この事は、知的障害者に関する職員の仕事がいかに大変であるかといったことを世間に対して説明することさえもできかねることである。
まして、知的障害者福祉が進まない理由がここにあることをしっかり知らなければならない。本人達が、自分で障害の辛さを訴える術に欠けることが大きいし、他の障害者福祉では、障害程度がすぐに分かる。耳の不自由な人は話しかければ分かるし、身体障害の人は見れば分かる。視力障害者の人達も一般の人から見ればすぐにそうと感じることができる。しかし、知的障害に対しては、初めから触れられもせず、隠されてしまう。
知的障害を理解するには付き合ってみなければ、実態は分からない。
障害程度についても、身体障害者が持つ障害者手帳には詳しく書かれているが、知的障害の場合の療育手帳には、AB区分でしかない。今後は処遇内容が多様化してくると思われる。知的障害者福祉を進展させるためには、障害程度をもっと詳しく区分する必要がある。
また、周囲の人達がこの世界に対する理解を深めるべきである。
今回の試みに対しては、立場立場により色々な見方があるであろうが、重度知的障害とはどんなものかといったことを伝えることはできる。報告書を読まれてその内容から今後どのように知的障害者を見ていくのかといった投げかけができただけでも、報告書作りを意図した意味は大きいと思う。

6、報告内容
昭和56年から平成11年度に至る、全入所者に関する丸19年間分の全ての資料が、資料室に一山になる程の量で保管されている。平成3年度迄は手書きで残してきたが、平成4年度の4月1日からは処遇現場にパソコンを導入した。今回、過去の資料をまとめるに当たり、パソコンでデータを検索できることで時間的には相当助かった。手書きの中から必要データを捜し出すことは大変であった。過去の資料を見直すという作業は、本来的には大変重要なことである筈だが、これには大変な時間と労働力を必要とし、実際には難しいことである。
丸19年の経過を振り返ると、様々な職員がその時々に、個人個人の園生に対し対応して来た。開所当初から現在まで勤務している職員は厨房職員を含め9名残っている。今回の報告書のまとめは、上述したように殆どが現在勤務している職員によってまとめられたもので、園の将来を考えたとき、その事自体の意義は大きい。
園生に対する学園としてのあり方が、どういったものであったかを評価するに当たり、まとめる職員としては客観的に評価できる立場にあったからだ。
また、結果をまとめるに当たり、途中から就職した職員にとっては、過去の諸問題を改めて知る結果となり、若い職員集団に役立つ結果となった。
資料に関しては、職員により、詳しく書いているものもあれば、少ないデータとして残っているものもあり、色々である。しかし、日々の日誌、年間計画書、年間まとめといった、生活面と作業面の全資料が残っているため、今回の報告書が作成できた。処遇に関するまとめは、一般的な実験を繰り返して集める科学的なデータ報告という訳には行かない。
本来的には、数値で表されればよいのだが、処遇内容を数値で計ることはなかなか難しい。
園生の処遇に関するデータは、入所者一人一人のことを、色々な職員がその場その時に接した時の状態を記録するということの積み重ねである。その都度記録された個々人の長期に亘る記録内容が、どのように変化して来たかを纏めることが一つの結果となって現れる。膨大な資料の中から、色々と変化した内容はあるものの、全員のものをまとめ上げて報告するには時間が不足するため、特に変化のあった入所者か、あるいはよくここまで学園生活を維持してこれたといった対象者に焦点を絞ってみることにした。
今回のまとめの方法としては個人の全データの中から、
〇問題であった部分を全て引き出す。
〇引き出したデータで一連の流れが分かるかを確認。
〇データについて纏める。説明文として文章化する。
〇文章化した内容に対して、文章の裏付けとなるような内容のデータを選び追加資料とし添付 する。(全データを添付することは数量的にも困難であり、また、意味をなさない部分もあるため、必要な部分のみを抜粋した)
データをまとめ、処遇結果を評価するについては、データの内容が一人だけの職員の意見として書かれておらず、多人数の職員が長期にわたって記録した結果をまとめたものであるため、それなりに納得した形で、若い職員達の手でまとめ上げられた。このことは大きな収穫があった。

7,記録がなぜ大切か
鷹取学園の過去19年の個人処遇の記録は大したものである。
しかし、普通の人達で日常的に、知的障害者にあまり縁の無い人達にとっては、「大便の記録が何でそんなに大切なのか、馬鹿でないの」と大抵はそう思われる。
「癲癇発作の状況記録が何だ」と一笑されると思う。それは当たり前かも知れない。だが、我々のように、知的障害を持つ人達を世話する立場の現場の人間にとっては、この何でもない記録が、彼らの人生を、健康を守って来たという重いものを感じる。
実際、処遇に携わる職員にとっては、この記録は自分たちの生涯をかけた仕事の証しとも言える。それだからこそ、「大した記録」と言いいたい。
職員にとっては貴重な指導・訓練の実践記録であり、自分たちのやって来た仕事内容を顧みるための資料と言える。
「社会福祉の仕事の大変さと隣合せにある。やり甲斐のある仕事内容とはこれであったのか」、そういった内容がここに表されている。

7、知的障害者福祉の一助となれば
以上のような経過で報告書ができあがった。処遇事例の報告内容が、もし、他の場所で生活している知的障害をもった人に役立つ内容であれば、何よりも嬉しいことである。今回、一番読んでもらいたい肝心な部分としては、どういった指導方法で園生がよい結果に結び付いたかという部分である。特に当園では重度の園生に対して作業訓練に力を入れてきた。作業能力及び重複する障害に応じた作業班を作り、9班に分かれて現在に至っている。その結果は、重度、最重度の入所者についても、作業訓練の成果として情緒面の安定がはかられたということと、更に加えるならば、何もできなかった入所者達が、仕事をするといった状態になり、少しずつでも生産するといった結果をうんでいる。勿論、生産量から考えれば普通の人と比較すると仕事にはなっていないといった程度の生産量でしかない。はなばなしい例では、職員4名と園生9名の班で一年間にビーズ暖簾が4個しかできなかった。まったくの無の状態が、幾分かずつ変わっているに過ぎないがそれでも少しずつ前進している。
恐らく昔の、最重度の知的障害者を知る人達なら、今までの常識では考えつかなかったまた、予想もしなかった結果が、鷹取学園にはあると言いたい。
入所当時は右も左もわからなかった最重度の入所者が、作業時間が来れば、各人が自分の作業場に自主的に行き作業をおこなうという状態になった。
知的障害を知っている見学者の中には、「重度、最重度の人達ばかりと言われるが、重度の人はどこに居るのですか」と質問をされる方もある。生活面と作業面とのバランスの取れた取り組みに、精神科治療がうまく絡んでの結果として良い成果に結びついたといえる。
何よりも、重度知的障害者であっても、私達と同じで生きている限り一般の人達の生活に近づけるというノーマライゼイションの考え方が基本になければことは旨く行かないと思う。

8、まとめ
社会福祉行政も次々に変化の道を辿り、平成12年度からは老人福祉問題を中心に介護保険制度が運用されるに至った。
一部の福祉分野を除き、介護保険制度に伴う施設運営の方法も大幅に変わりつつある。
平成15年からは、社会福祉基礎構造改革の下に全ての障害者福祉も介護保険に準ずる形を取り、「措置制度」から「個人契約制度」に切り換えられると言われている。しかし、重度、最重度の知的障害者の人達にとっては、実際にはピンと来ない制度であると言わざるを得ない。
成年後見制度ができたといわれるが、成年後見制度がどのような内容をもって、当初から個人契約等の交渉も理解できない人達の保障を行うのかといったことをきちんと整備しておかなければ、重度、最重度の知的障害者の個人契約制度が現実のものとしては動かないことは明白である。
本当の意味での「個人契約制度とは何なのか」という疑問を投げかけられるのは、知的障害者福祉の立場からでしか言えないと思う。
知的障害者福祉は他の福祉分野から取り残されていると、今まで何度となく繰り返し言われて来た。
何が他の社会福祉分野と違うのかと言えば、それは本人達の障害にさまたげられて、自分たちの障害の実態を、健常者に充分に伝えられず、理解して貰えないということが根底にあるからだ。これが最大の原因と言える。だからと言って知的障害者問題が何時も後回しにされてよいといった訳でもない。
いろいろと制度が変わり、「精神薄弱」という言葉が「知的障害」に変わり、職員の倫理綱領が形に作られていることは進歩である。しかし、そのことが形だけで終わるとするならば何ら本質は変わらないことになる。何よりも、形だけが変わるのではなく、実質的な内容が変わらなければ、全く意味をなさない。
今までの過去の状態を見ると、いろいろな研修会等で何年間もの間、問題として提起されて来たことが、いつも真剣には考えて貰えずその場限りのお茶をにごす程度で済まされてきた。
それどころか、世の中は広いというべきか、知的障害者に対して、「社会にとって迷惑を掛ける人、社会にとって余分な人間」ととらえている人たちもいる。
その中でもっともひどいと思われるもので、極端な例で「知的障害者は社会の屑でいらぬものだ」、「このような障害者を世話していく職員もおかしい」と考えている人も居るようだ。
もともと、社会福祉事業という考えは、キリスト教の流れを汲んでいる。「キリストがしたように貴方達もそのように行ないなさい」ということが、根本の考えである。キリストは、いろいろな難病や障害を持った人達のところへ行っている。そして、その考え方が、社会福祉事業として発展した。社会の中にある「弱さ」の部分を支えることが、社会福祉(福祉=幸福)につながるといった考え方である。
私達職員は、このような考え方を全く知らないまま働いている。しかし、我々現場で働く職員にとっては、そのような社会福祉事業といった考えを胸中に持っていなくても、この度、此のような報告書を出せた意味は大きかった。
重度の知的障害を持つ人達が、小さな事ができるようになることで、本人達の人生がどれほど変わるものかを知らしめる内容であると思う。
健常者と言われている人にとっては、何の苦労もなく、当たり前にできることが、知的障害を持つ人達にとってみれば、大きなハンディになっていることを改めて知ることができる。
小さな可能性を自らの手に入れたとき、彼らの人生は明るさと、笑顔と安らぎを得、満足し充実している。
普通の人にとっては、何げなくできることが、彼らにはできない。
しかし、どんな些細な事であったとしても、本人達にそれが実現できたとき、彼らのきらめくような笑顔と感動を共感できる。この仕事の素晴らしさがそこにある。この宝物は誰もが簡単に掴めるものではない。時には当たり前過ぎて、気づかず通り過ぎることの方が多いかも知れない。これは体験した者でしかわからない事かも知れない。
以上のような職員としての体験報告を、過去の資料をまとめるという方法で事例報告としてみた。この報告内容が、幾分かでも他の知的障害者の人達にとって、福音の手立てになればと願っている。
今の日本の知的障害者福祉は大きな変革の時期に立たされている。その歩みと同じ時期に、当園としては創立20周年という大きな節目を迎えた。
具体的に、これからどういう方向に持って行けば知的障害を持った人達が幸福になれるか、当園発表の事例報告に目を通して頂きながら、皆様の忌憚なきご意見を拝聴し、皆様と共に考え歩んで行ければと願うところである。










               
               
               
                 
                              
               
- 1 -





この頁は、鷹取学園20周年CDROMにあるWORD文書を、自動HTML変換して作成したものです。
リンクの行き先等の変換ミスにお気付きの場合は、下記までおしらせください。
                     〒822−0007 福岡県直方市大字鬼ヶ坂336番地の11
                     社会福祉法人 福知の里   知的障害者更生施設 鷹取学園
                      TEL 0949-24-6622   FAX 0949-24-8333
                      EMAIL takatori@enissi.com