--- 鷹取学園20周年資料 ---


        精神病院から知的障害施設への適応事例

                                 平成12年4月1日 
                         個人別ケースまとめ担当者
                         統括指導部次長 服 部 年 春

1. 問題であった具体的内容
@ 粗暴行為(他者への暴力、暴言) 
A 異性問題
B こだわり(薬へのこだわり)
2. 入所年月日
 昭和56年4月1日入所 (在園期間 20年)   
3.ケース紹介(福岡県更生相談所判定)
@氏名〜M・Kさん 男性 昭和25年1月8日生まれ 50歳                
A生育歴〜出産時 正常(3,000g) 始歩24ヶ月 始語24ヶ月 離乳72ヶ月
B知的面〜(昭和56年4月)I・Q43(S−B式) M・A6歳10ヶ月 
 10歳の時に精神遅滞との診断を福間病院より受ける。中度の知的障害 
     (平成12年3月)I・Q38(TK式田中ビネー検査) M・A6歳 8ヶ月
C 日常生活行動〜ほぼ全面自立している。
D 身体状況〜特に異常は認められない。
E 情緒面〜入所当時は些細な事で、興奮し暴力や暴言も見られているが、ここ数年は安
      定した生活を過ごしている。
Fコミュニケーション
  言語はある程度はっきりしており、簡単な内容ならすぐにでも理解できる。挨拶につ
 いても、いつの時間にこの挨拶をするということも理解できている。
G病歴〜身体は頑丈であり、特に大きな病気もしていない。
H保健・介護の面について
 毎食時と就寝前にてんかん薬、精神安定剤、睡眠導入剤を服用している。
 平成7年に大腸の疾患が認められ、それ以後は服薬をしている。
I作業面について
 入所当時より手先は器用であったが、それがなかなか作業に結びつかず、陶芸班におい てもこれという作品完成に至る一歩手前という状態が続いていた。ここ数年でようやく花が開いたというか、電動ろくろによる作品作りや削り作業において、よい作品を作る事ができるようになっている。
J医療面
 興奮をおさえる精神薬、てんかん薬、睡眠導入剤等の服薬が必要。

3. ケース紹介(入所当時)
精神障害、てんかん、精神安定剤、睡眠導入剤、てんかん薬については継続して服薬が必要。
4.入所当時の状態
指導訓練の方針
 長い間、精神病院での入院歴があり、病院と施設の違いを本人にわかるように言い聞か   
せ、納得させた上で指導に当たる。自分の思いが伝わらないからと暴力を振るう事はいけ     
ないことだという事も同様に理解させる。(年度別問題行動については、グラフ参照)
 
5.経過 
入所当時より数年間続いた不適応行動の内容
 入所以前より、家庭でも些細な事で興奮し、母親、姉、弟の3人で押さえつけて、おとなしくさせるということも再三あっている。
 入所当時は4人部屋で、他の3名とも知的能力は本人より高く、他のメンバーに負けまいとする対抗心みたいなものがあり、漢字等本人が読めない為、それを指摘されると暴力に訴えるようなところが再三見られていた。

昭和56年度(担当 服部)
5月19日 21:40宿直者の「寝なさい」の指示に突然怒りだし、外に出て行き、拾った            
     鉄の鎖で職員に向かって来る。服部指導員の説得により、23:30居室に戻り、
     4:00にようやく眠る。 (手書き 宿直日誌 資料1)
7月17日 21:30同室の○○さんとトラブルあり、○○さんを担ぎ上げ、廊下に投げ落                
    とし、顔面、腹部と手当たり次第に殴る、蹴るの暴力を行う。以後本人と○○ 
    さんと一緒に市内の外科病院に通院、○○さんは幸い骨折等はないものの、身
    体の複数の箇所の個所に湿布をする痛々しい姿である。
   (手書き現認報告書 資料2−12−22−3)                    
10月17日 小運動会のリレーの順番が変わった事に怒り、側にいた女子職員を拾った
      棒で脅して、追いかけまわす行為がある。 (手書きケース資料3)
 2月 7日 7:00○○さんとトラブルあり、殴る、蹴るといった暴力を働く。
                          (手書きケース記録 資料4)
 2月10日 19:30同室の○○さんを廊下に投げ飛ばす。(手書きケース記録 資料5

昭和57年度(担当 豊島)
4月11日 夕食後の余暇中、○○さんの顔面を殴る。(手書きケース記録 資料6同2頁)
5月21日 遠足の際わざと滝に落ち、全身ズブ濡れになる。(手書きケース記録 資料7)
5月28日  市内の精神科にて受診、その際ドクターに(手書きケース資料8)
@ 俺の身体は俺が一番わかっとる。
A (カルテを記入しているときに)お前でたらめ書くなよ
B (作業がんばろうねの声かけに)「身体の調子が悪いときに作業ができるか」等の暴言を吐いている。

昭和58年度(担当 藤本)
12月10日  早朝2:00過ぎに体操服と裸足といういでたちで、フェンスを乗り越え、
       学園の近くの喫茶店(グラバー邸)付近よりタクシーに乗り、飯塚まで                                  
       行き、午前3:00自宅に電話をしている。自宅より学園に電話があり、学園
       よりタクシー会社に連絡し、3:40に帰園している。
       以後はなかなか寝付かず、職員とともに就床している。
                           (手書き宿直日誌 資料9)

昭和59年度(担当 藤本)
 ○○さんが各居室の戸を開けてまわる事に立腹、追いかけまわして、枕で頭  
     を力任せに数回殴りつけている。(手書きケース記録 資料10)
 ○○さんの首閉めに対し怒り、○○さんを殴る。○○さんが舌を切り3針 
     3針縫合している。(手書きケース記録 資料11)
 入浴時○○さんに対して暴力を振るう行為が見られ、職員より注意を受けて
     いる。(手書きケース記録 資料12)
 夕食時○○さんのしつこさに腹を立て、突然椅子より引きずり落としている。
        (手書きケース記録 資料13)  
       作業面においては、湯呑みを確実に作れるようになった。意欲も少しずつ
      出てきている。
昭和60年度(担当 藤本)
     5月30日、6月5日、7月5日とちょっとした事に腹を立て、不機嫌になり周
     囲の人に当たり散らすような行動が見られている。
                  (手書き年間まとめ 資料14)      12月5日には職員の注意に対して、つかみかかろうとする行為も見られている。
                  (手書きケース記録 資料15) 
昭和61年(担当 高松)
      不機嫌な態度はやはり時々見られ、女性に興味を持ち出したのか、卑猥な言
     動が見られ出している。  
     
昭和62年度(担当 浜村)     
      女性への卑猥な声掛けから下着を下ろして見るような行動が見られている。
      眠れないから眠剤をとの要求もある。(手書きケース資料 16)     
      11月26日には職員に喫煙を見つかっている。(手書きケース記録 資料17

昭和63年度(担当 数山)
       7月23日  消灯後に眠剤を要求することが多くなった。
      11月18日  週末帰省する園生に対してジュースやお菓子を要求する行
              為がある。 
平成1年度(担当 数山)
      帰省する○○さんに帰園時にビールを持って来るように命じたりと職員の目 
     の届きずらい所での隠れた行動も見られている。(ケース記録 資料18) 

平成2年度(担当 数山)
 同室の入所者に対する威圧的な態度が顕著で、気に入らないと部屋から出て行くように仕向けたり、職員の目の届かない所で帰省した場合はコーヒーを持ってこい等と言ってみたりすることが再三あった。作業への参加も体調不良を訴え、不参加という日が時折見られている。(年間まとめ 資料19) (平成3年1月8日作業日誌より抜粋〜午前中活気のない表情で、かわらけづくりの指示をすると作業を始める。午後は担当が来るまで居室で寝ている。指示にてようやく作業を始める)
 母親が病気で入院し、弟も仕事の関係でなかなか学園に来れず、そうした不満もあっての行動であった。

平成3年度(担当 数山)
 職員の目の届かない場面での同室者へのコーヒーの要求や洗濯物を取ってこい等の命令があっている。そのことを同室者が職員に伝えると「きさま、言うたらただではおかんぞ」と釘をさす念の入れ方で恐喝行為がある。
 作業にはたまに不参加ということがあるが、前年度と比較すると作業拒否が減少している。

平成4年度(担当 白土)  検索
 四肢の不自由のある○○さんが同室となったが、動きが悪い為、クラス毎に動くようになるため、どうしても他のクラスより遅れてしまうので、職員の目の届かないところでは、頭を殴ったり、蹴ったりという暴力があっていた様子。職員が聞いても知らぬ存ぜぬの一点張りである単位になっているため、年に数回しか実施されない社会参加訓練では、もう少し先の店に行ってみたい、もっとたくさんの場所に行きたという本人の気持ち、動きの遅い○○さんがいるため、全体の動きが制限されてしまうという不満があった。
。この年より、同室の入所者の面倒をこんなに見ているとアピールし、面会日等には、同室の保護者に「コーヒーを持ってきて下さい」と陰で要求するような行動が目立ち始める。(面会日は家庭の都合で2回しか来られていない。それもわずかな時間であり、話しをしてもこれをしたらいかん等注意ばかりである)。(学園資料 20) 土曜・日曜の余暇中は就床して過ごす事が多くなる。
(平成5年3月27日宿直日誌より抜粋〜午睡していたが配膳には出て来る。○○さんに対して強い口調が目立ち、夕食の摂取が遅い、こぼすなと言い軽く頭を叩いている。注意するとムッとした顔をしている)
 本人の一番の話し相手であった女性入所者の○○さんが家庭の都合で退園した。そのための落ち込みはさほど見られないが、少し寂しそうな表情の日が続く。
 作業については、この年まで「きつい」、「したくない」、「農耕班の外作業がしたい」等の不平がたびたび聞かれている。

平成5年度(担当 白土)  検索
 昨年度に引き続き、同室者は○○さんである。相変わらず、見えない所での暴力や暴言があっているようである。ただ、本人の要求も無理からぬ面もある。というのはどうしても動きがクラス単位になっているため、年に数回しか実施されない社会参加訓練では、もう少し先の店に行ってみたい、もっとたくさんの場所に行きたいという本人の気持ち、動きの遅い○○君がいるため、全体の動きが制限されてしまうという不満があった。
 (平成5年6月20日宿直日誌より抜粋〜夕食時○○さんに対して強くあたっている。欲求不満を解消している感じ、余暇中も表情が固く感じられる。23:00眠れないからと眠剤をくれと言って来る。渡せない、寝なくてよいからというが納得しない、眠れない時は糸井先生が飲んでよいと言ったと愚図愚図言いながら付きまとう。薬がないというと、他の武内君の分があると言う。聞き分けがなく、結局飲ませている。起床後ボーっとしていて無理に目を開けている。(年間まとめ 資料21)   作業参加の拒否は全く見られない1年であった。しかし、時には不機嫌な表情で参加することもあった。

平成6年度(担当 渡辺)  検索
 昨年までの経緯を考え、同室の入所者が代わる。しかし、担任も若い職員であり、担任と同室者への高圧的態度は昨年度よりもひどくなる。他の入所者に「帰省したらお金を持ってこい、コーヒーを持ってこい」等と命令する。トイレで喫煙が見られている。何度聞いても入手経路は言わなかった。
 母親がずっと入院中で、弟も学園の行事には来られない。面会日にも来られない事が続いた不満がこうした行動に結びついたということも考えられたため、本人には「家庭の事情があるから、行事等には家族の方は来られないから」と言うと「わかりました」と表面では理解できているように振る舞うが、実際は寂しかったようである。
 平成6年度個人まとめより抜粋〜同室者の○○さんに対しての命令口調(早よ布団を敷け等)が多く聞かれる。職員の指示に「言わなせんめーが」と担任が新任であり、甘く見ていたように感じられる。5月下旬に添田くんよりお金をもらい、隣の工場の自動販売機でコーヒーを買ったりする行動も見られている。(年間まとめ 資料22)  作業面においては、少しずつではあるが、技術の向上が見られている。
(年間まとめ 資料23)
平成7年度(担当 渡辺)  検索
 同室者は最重度のうるさく奇声をあげて騒ぐ○○さんになる。同室者が騒々しい為、何か事を起こすのではと心配していたが、○○さんが毎週帰省し、そのたびに○○さんの母親からボタンをつけてもらったりと本人の母親でもあるかのような接し方をしてもらったため、○○さんにも優しく接していたし、いろいろと面倒を見てくれるようになる。
(9月に母親逝去)
 ただ、反面、面会日や行事の時には、複数の保護者にこの人は「手がかかるから僕がいつもお世話をしている」と暗にジュースやコーヒーを要求し、保護者が帰られると急に手のひらを返したように冷たく当たるということが目だっている。友達に影響され、漢字に興味を示し、余暇中に漢字の練習をする。ということが見られ出した。(資料参照)
平成7年度個人まとめより抜粋〜12月に入り、他の入所者が漢字の練習をしているのに影響されてか、漢字帳と漢字のテキストの購入を催促してくる。
 作業において、電動ろくろを使用する作品作りについては、完全ではないものの、一人で削り作業前の工程まで行えるようになっている。
 (年間まとめ 資料24)  

平成8年度(担当 渡辺)  検索
 昨年同様で同室者は○○さんである。相性が悪いかと思われたが、意外に上手くいっており、特に問題はなく、逆に入浴時には着替えの準備をしたあげたり、食堂まで手を引いて連れて行くというように面倒見のよい面が見られている。(資料参照)
 他の入所者に対する威圧的態度は殆ど影を潜め、穏やかに接する事ができるようになっている。母親の死去により、しっかりしなくてはという自覚が芽生えたのかもわからない。
 年度初めにトイレでの喫煙を職員より発見される。ライターも隠し持っていた。正月帰省の際に小遣いでこっそり購入し、隠していたようである。(平成8年4月5日の記録より)
 5月の面会日に家族(弟)の方と学園と話しをし、火災の危険もあり、その旨本人に伝え、納得させている。以後は喫煙は全く見られなくなっている。
 余暇中は引き続き、漢字の練習を続けており、職員の下書きが必要であるが、手紙を書く事が出来るようになり、またそれを楽しみにしているような所が見られ出した。
 5月の運動会終了後の後片付けで、シーツを脚立にかけて干していたが、誤って脚立より滑り落ち、右手甲を骨折している。そのため約半年間作業には参加するものの、何もできない状態が続いている。しかし、逆にそれが発奮材料となり、以後は見違えるように作業に集中することができている。 
 (年間まとめ 資料25) 

平成9年度(担当 坂田)   検索
 同室者は○○さんである。担任は本人と同じ作業班に所属する陶芸班の職員である。
余暇中は漢字の練習を続けるようになり、実習生や他の職員の方に手紙を書き、返事を待つ楽しみを覚えた。精神的にもかなり安定し、他の入所者に対しての威圧的態度は殆ど見られなくなった。面会日等にコーヒー等の見返りを要求する対度は激減したものの、皆無とまではいっていない。
 こうした変化の一因としては、弟が12月に入院したため、代わりに姉がきちんと面会日に来られるようになり、時々家に電話をしたりして話しができるようになったことで、精神的な安定が見られ、同僚にも優しく接することができるようになった。
 陶芸班においては、少しずつよい作品が作れるようになっている。
(年間まとめ 資料26)
平成10年度(担当 坂田)  検索
 同室者は○○さんと変っていない。面倒見はとてもよく、余暇の楽しみ方は漢字の練習と音楽観賞と幅が広がり、人間的にかなりの成長の跡が伺える。
 作業においてもここ数年でよい作品を作る事ができるようになっており、そのことが精神的な安定につながり、作業での自信をますます深めている。
 しかし、土曜・日曜の余暇中は相変わらず、寝て過ごす事が多くなり、体重が年々増加し、違った意味での問題が出てきている。
(年間まとめ 資料27) (陶芸班年間まとめ 資料28)
平成11年度(担当 服部)  検索
 同室者はここ5年間ずっと○○さんである。日中はうるさく騒ぐものの、居室にいる事は殆どなく、夜間の就寝状態もよいため、さほど気にならない相手のようである。本人が精神的に成長したということもあるだろうが、もちつき大会でボランテイァとして参加される直方市役所清掃課の方々とも親しく接する事ができるようになる。学園祭の時には本人の作品を必ず1個は購入される女性の方もいて、年にただ1度の学園祭では、お互いに顔を合せ、世間話が出来るまでになっている。
 作業においては、かなりよい作品が作れるまでになっており、最近はろくろを回す事が楽しみなようで、成長の跡が伺える。 (陶芸班年間まとめ 資料29)
(学園陶芸班顧問亀口修山氏より、これだけできるようになったら、「家で雇ってもよい」という話しを聞いた為、余計に頑張ろうという気持ちになっている。


(写真 M・Kさんの作品 2000.4月9日 久留米岩田屋 知的障害者作品展にて展示)
  些細な事での暴力行為と眠剤の要求があったが、年を経るごとに減少し、現在では暴力行為は皆無に等しい状態である。眠剤の要求については、平成12年3月の糸井先生の診察の際に初めて「眠れんから薬を飲んでもいいですか」と本人の口からは聞かれなかった。実に20年間で初めてのことである。暴力行為に対しては、その都度本人に懇々と言い聞かせ、納得するまで話し合いをしている。眠剤の要求に対しては、できるだけ飲まない方が身体のためによいからと話し、どうしても眠れなかったら言って来るようにとの本人に言い聞かせ、納得させるということを続けてきた。
(年間まとめ 資料30)

6. 改善点
@ 暴力行為
 平成4年を境に見られなくなっているが、職員の目のとどきずらい場面での園生への 
 恐喝まがいの指示が平成8年まで続いている。
A 異性問題
  昭和61年より見られだし、卑猥な言動や下着を下げる等の行為があるが、平成4年
 を境に見られなくなっている。
B 眠剤の要求  
  年々減少傾向にあり、平成11年を境に全く聞かれなくなっている。
 
7. 改善に至った要因
@精神病の治療
 精神病に関しては、精神薬を服用することで治療を継続し、精神的安定を図るということと、発作をおさえるためにも服薬が必要であり、現在も継続中である。M・Kさんの場合は病院での生活が長く、爆発的な興奮はあるものの、話しをすればそれなりの理解力はあり、長い集団生活の中で本人なりに培った生活の流れというものがあり、病院では患者さんの中にも話しをする相手がおり、それなりに自分の不満を言う対象がいたわけであるが、学園の場合は殆どが本人よりも理解力に劣る人たちで、話し相手がいない、不満を述べても理解ができない。病院ではある程度自由に振る舞えたのが、学園では制限がある等様々な理由で、暴力や眠剤の要求をしていたものと推測されるが、やはり本人を一人の人間として認めてあげる。それに本人の要求するものがあれば、できる範囲で要求に応えてあげる。できないことはできないと本人に納得させる。こうした細かな事の積み重ねが、本人の改善につながったものと思われる。
A作業の面について
 元々本人手先が器用であり、興奮しやすい反面好きなことはのめり込むような所もあり、当初は煙草の空き箱でマッチを使って、傘を作ったりということもしていた。そうした細かい手先の作業が向いているということで、陶芸班に所属となったわけであるが、なかなか作業に集中することができず、技術的にも伸びはするが、なかなかそれ以上という場面にまで至らないとう事が続いている。しかし、日常のイライラもろくろを回すという事で、解消できるような場面もあるということを本人なりに理解しはじめたのは、平成6年頃からである。それ以降は粘土でいろいろな物を作製するという創作の喜びの理解を深めていったようであり、現在はかなりよい作品を作る事ができるようになり、その自信が日常生活の精神的安定にも役立っているようである。
 
8. まとめ
 入所当時から数年間は気に入らない事を言ったという事で、友人に対し殴る蹴るの暴力行為があったり、職員に対しても、鉄の鎖を振り回して向かってきたり、棒を振り回して向かって来る等の行為があり、そうした暴力や暴言等いろいろな問題を起こし、職員も帰宅すればすぐに学園に呼び出されたり、夜間にもたびたび呼び出しがあったりと、かなりの問題を起こしていたが、20年間の本人の成長の跡は顕著である。入所当初は体力が有り余っており、自分で自分の体力と感情をコントロールすることができず、暴力という形で表現していたが、年齢からくる体力的な衰え、母親との死別、弟の入院等、また本人なりの様々な経験が人格に変化をもたらし、独りで生きていかなければならないと悟ったとともに作業面に目が移り、進歩につながったと思われる。そうした経緯により、現在は落ちついた学園生活を送れるまでに至ったと言えるのではないだろうか。
 これからも今まで以上に、もっと自分で字が書けるように努力したり、自分の意思をもっと表現出来るような可能性を引き出させ、更に人間的に成長できるように、土曜・日曜の余暇中は寝るばかりではなく、身体を動かして肥満防止に努め、今後も楽しい学園生活を続けられるように方向づけできればと願うところである。




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