--- 鷹取学園20周年資料 ---
最重度自閉症者への問題行動改善事例
平成12年4月1日
個人別ケースまとめ担当者
指導員 浜村 良雄
1 問題であった具体的内容
@自傷行為 〜 爪や指の逆向けを歯で噛む事や、耳や顔を長時間かきむしる行為が 見られ、血が出ていても止めようとせず、薬を付けてもまたすぐ行なっている状態。
A他傷行為 〜 人への噛み付き行為・人の手や足を自らの額に力任せに押し当てる。
B破壊行為 〜 テーブル・椅子・箪笥などの家具や、その場にある目に付いた物を 投げて壊す。サッシ等の建具を力任せに閉める。
C拘り 〜 物の位置、例えばスリッパ等をきちんと揃える事や、気になるごみ を拾って一定の場所に並べておく。自分の物、興味を示すものに対してきちんと角を揃えておき場 合によっては何時間も要する。
帰省を強く願望し、玄関や学園に来る車を気にして見入っていたりその車に走って乗りこむ事もあ る。
2 入所年月日
昭和56年4月1日入所 (在園期間19年)
3 ケース紹介(福岡県更生相談所判定より)
@ 氏名 N・A 男性 昭和38年10月18日生まれ 36歳
A 知的面 IQ 15(牛島式) MA 2歳8ヶ月
B 生育歴 出産3150グラム、正常分娩で母子ともに健康。その後1ヶ月位までよく熱を出していた。8ヶ月位に40度の高熱が3ヶ月間続く。
首のすわり 4ヶ月
はい始め 8ヶ月
始 歩 1歳4ヶ月
始 語 2歳5ヶ月
2歳4ヶ月頃なんとなくおかしいので、耳鼻咽喉科受診。その時、九州大学病院に通院。 難聴といわれ障害者手帳を受ける。
4歳過ぎて精薄といわれる。小さい時より癇癪があり、激しく噛み付いたり暴れたりす る。自ら発語せず、態度で表現する。
小学校2〜3年頃より自閉傾向と精薄で、九州大学病院へ通院(S41〜54)。
その後いくつかの施設や医療機関を転々とする。
昭和56年より鷹取学園に入所。
昭和45年5月 直方聾学校
昭和46年4月 直方北小学校(1年から4年 )
昭和49年4月 直方養護学校(小学部年から中等部)
昭和55年4月 直方養護学校(高等部1年間)
昭和55年8月 ともえ学園(昭和56年3月)
昭和56年4月 鷹取学園入所
C日常生活行動 入浴に誘導が必要。言語・発語はないが、教示に対する理解は示す。他は慣れた場 であれば概ね自立。
D 身体状況 特に異常は認められない。
E 情緒面 自閉傾向にあり、興味のかたより(パズル等への執着)や周囲に対 して関心を示さない。
家庭では、寡動であるが他では他動である。騒音を嫌う。褒めると 笑顔で反応する。発語はないが、問いかけには笑顔で反応する。ラ ポートは付きにくい。
行動は恣意的である。指導上強制等はさけて、受容的に接し励ま す等を中心とする必要がある。
F 身辺生活処理能力
入浴に誘導が必要。発語はないが、教示に対する理解は示す。
G 職能的判定
訓練の可能性として、集団生活に馴染んだり興味の幅を広げることが先 決である。その後職能的な検討をする必要がある。
本人の興味にそった作業であれば、取り組む可能性もある。
H 総合判定
精神遅滞の程度 最重度。
施設適応性 あり
療育手帳 A
身障手帳 2級障害名ロウア
I 医学判定
生後8ヶ月時に40度の高熱発が3日間続いた。
現在は、広島三次市のともえ学園に入所しており癲癇の診断で服薬している。頻度は1 週間に1回程度の小発作である。服薬の継続は必要である。
4 入所当時の状態
彼の入所前・入所当初の大きな問題点は、他傷・自傷行為そして破壊行為であった。
具体的には、始めに記したので省くが、突然しかも大変危険な状態でおこっていた。
学園入所前の養護学校時代に激しく見られだし、親の手におえない状態となり、高等部であった昭和55年 8月休学して、一時的に精神科に入院。本人にあった施設を探した結果、自閉症専門の児童施設に緊急入園。 その後、昭和56年4月1日当学園へ開設と同時に入所している。
緊急入所した児童施設では、本人のおこす他傷・破壊行為は癲癇発作の1種だと診断し、投薬を学園入所当 初より投薬を引き続き実施。学園では、上記行為と共に生活時間帯に眠気が強く自室の布団から出ようとしな い行動が多く見られ、食事も取らないと言った状態が続いている。しかし、水分摂取がひどくやかん一杯分の お茶を飲み噴水のように吐く事も見られた。
このように施設での適応は難しいと思える不安定な状態の中から、まず学園での生活に慣れさせながら本人 の持つ自傷・他傷・破壊行為を徐々に減らしていき、安定した生活を送らせてあげたいとの当初からの指導方 針から現在に至っている。
5 経過
彼の持つ問題点として、自傷・他傷・破壊行為があげられる。その変化を年度毎にあげながらその経過と対応を追っていき、どのように変化したかに焦点を絞ってみる。
(昭和56年度) 担当浜村→服部
昭和56年入所当初より、学園生活に溶け込む事が難しい状態が続く。食事拒否・偏食・人の手や足を自分の額に押し当てる等といった他傷行為がみられる。
また、毎食時にテーブルを力任せにひっくり返す等の破壊的行為も見られている。
4月29日 担当者日誌 (浜村)
午前9時30分発作。食堂前で倒れる。全身硬直状態になり、板のようにカチカチの状態であったが、意識はあり、癲癇発作ではなく、ヒステリック発作である為、癲癇薬の投与に関し検討し投薬を中止する。その後、食堂にて職員の片足を自分の額にあてる。5分位。以後はたて続けに熱いお茶を3杯飲む。資料1
4月29日 宿直日誌 (紙野)
竹並先生が、起床するように言うと目覚めの為、本人が気にくわかなったのか5分くらい昨日と同じように竹並先生の膝に飛び掛かるようにして頭をくっつける。 資料2
5月18日 宿直日誌 (薦田)
昼食時浜村先生が、食事させようとすると急に暴れまわりテーブルをひっくり返そうとした。席につかせると、今度は、本当にテーブルをひっくり返し、軽発作に似た状態が20分〜30分続いたが、その後おさまる。
19時15分頃食べたものを廊下に吐き出したので、便所に連れていってはかせると、水分ばかりで、余り食べ物は吐かない。 資料3
6月1日 指導日誌 (浜村)
朝食9時。食卓を倒そうとする。食事を強制した為に起こったと思われる。そのまま自室に連れて行く(手を額に持って行こうとするが、させない)と発作が止まる。
彼の発作は、何か感情の安定をこちらがうまくとらえていくというか、うまくその波に乗って更にそれを伸ばすように持っていけば、発作も起こらないし、他への才能の目が発見できるような気がする。
資料4
テーブルを返す行為は部屋替え(9月8日)以降9月11日にあり、9月12日と12月8日は職員より事前にとめられている。9月11日のテーブル返しの時厳しくしかり、何故テーブルを返したら悪いかまた、本人に対する能力のある事をよく話して聞かせる。本人はニコニコした状態で大人しく聞く。翌日より食堂でのテーブル返しは無くなる。昭和57年になり1度もない状態が、見られる。癇癪も居室に他の園生が入らなくなった面と、本人がディールーム(DR〜園生の憩う大部屋)に行き出して、その面からかいほうされたので、起こさなくなったのではないだろうか。
(昭和57年度) 担当 服部
生活面の事を主体に進める。
食事の順序をたださせることは、本人順序がおかしい事は思っておらず、ただ、注意するだけに止めるようにしか無いように思われる。おかずを先に食べご飯を後に食べる。
発語については、欲しいもの・したい事等、自分で言わせるようにしている。続ける事によりかなりよくなると思われる。始めは、一音づつしか発声出来ず、まず最初は「お、ごちそうさまでした」の合掌から訓練を始めた。
興奮は前年度に比べ半減してきている。
(昭和58年度) 担当 服部
食事時間は、時々遅い時もあるが朝食15分・昼食20分・夕食25分位で食べるようになっている。
発音練習を昼食後行なっているが、余り効果はあがっていないが、日常の中で言葉を多く発して接していると、そのことに関する言葉が家庭でも聞かれるようになり、母親よりよく言葉が出ていると報告を受ける。
興奮・癇癪については、友達よりつねられた等の原因があるようだが、体調(特に喉はれている事が多い)が、悪いときにも人の頭を両手でおかみ額に押し付ける行為がある。時として、噛み付く行為が見られる。昭和58年12月28日、母親の左指に噛み付いている。………入所時から見ると、激減している。このような行為があった時は、正座・黙想で落着かせている。
調子が悪いとき、どこが痛いねに対して、「頭痛い・喉痛い」と答えるようになる。オウム返しの方もかなり減っている。
こうした面がよくなっている反面、排尿もしないのに長時間あるいは何度も便器の前に立っているという行為が見られるようになってきた。 年間まとめ〜資料5
(昭和59年) 担当 浜村
朝・夕のホームルームで、本人の状態を把握して対処しまた、食事時間のみにとらわれずに、彼の意思を配慮しながら進める指導に切り替える。彼の返事・態度により、次の行動につなげ、リラックス出来るように介助。この事により、9月頃より、癇癪を起こす手前で、自らコップを持ち水をがぶ飲みする光景が見られ出す。この行動のあとは、すっきりした状態に戻っている。
年間を通した危険な癇癪を1週間で見てみると、木曜日11回・金曜日8回他の曜日に比べて多い事がわかる。(手書き資料7参考)
その理由として、土曜日の帰省を気にして、苛立ちが出ているものと推測される。
また、年間を通して、4〜7月までは、人に向かっているが、その後は人と物にあたるようになる。
その度合いも、以前に比べしつこくなく、すぐ止める形となりあとまで悪い状態が残ると言った事が無くなってきている。
2月28日・3月1日に、苛付き見られる。職員が手を差し出していると、ユックリ力を入れためらいがちに自分の額に押し当てる行為が見うけられる。(突然の癇癪ではない行動がでてきている。)
癇癪以外での行動・状態変化
@ トイレ前に立ち数分間隔にひっきりなしに小便に行き出るといった行動の繰り返しが無くなる。
A 発熱・喉はれで食べられない状態が、無くなってきている。
B 食事したあと、その場で器の中に嘔吐する行動も無くなってきている。
1年を通じて、食事指導が日常生活のストレス解消に役立ってきて、癇癪の移行が認められるようになっている。また、不適応行動から適応行動へと変化している事も見て取れる。
年間まとめ〜(資料6・7)
保護者からは、8月の盆帰省時、7年ぶりに癇癪も無く笑顔で、状態が大変よいとの報告を受けている。それからは、1月3日両親のいらいらが本人を誘発させた(帰省報告書より)以外は見られなくなる。
(昭和60年) 担当 浜村
昨年度の経過より情緒の安定をはかる事に重点を置き、ホームルーム・昼食時間を互いの疎通の場として関わる工夫をしている。
ゲッテン(興奮行動)の傾向が、人から物へ、激しい危険なものから(危険)軽い方向に、ゲッテン後はそのまま尾を引かず、作業等にスムーズに打ち込めるようになっている。
帰省時も大変落着いている状態で、保護者も大変喜んでいる。(7月自宅にて、麦茶を沸かして忘れていると、やかんにいれ冷蔵庫になおしている為、母親が喜んで褒めている。)
(昭和61年) 担当 吉野
4月当初は担当が替わりあまり情緒安定はしていなかったが、情緒の安定をはかれるようにHR・昼食時等関わっていると、ゲッテンはたまにしか見られないようになっている。
帰省時、掃除等を声かけ無しで行なうようになっている為、母親が喜んでいる。
(昭和62年) 担当 服部
衣類の整理・歯磨きの徹底を目標に実施。
衣類については、指示のみで大体出来ているが、濡れたタオル・パジャマを引き出しに仕舞い込む。注意するが、いまだに改善されていない。
歯磨きは、その都度声かけしないと行なわない事の方が多い。
情緒面では、4月〜6月と今迄に無く情緒安定していたが、7月後半より姉の子ども(姪)の言葉がはっきりし出して、いろいろな規制を受け、家庭が憩の場という面で少し違うようになり、苛付いたまま帰園し学園まで持ち込む状態が8月〜9月と続く。
調子が悪くなると、ゴミ等をトイレ・廊下・居室とあたりかまわず拾ってまわる行為や、衣類や戸締まりへの異常な執着が見られ、それを規制すると、興奮状態になるという状況。
62年1月より特に大きな問題行動は見られず、ただし、トイレのスリッパ並べはあるものの落着いた状態で、どうも運動会・学園祭といった行事が絡むと神経が高ぶるのか、興奮状態が見られる。
家庭に帰った際、神経質に片づける行為が長時間見られるようになる。母より以前も少し見られたが、少し異常な程神経質になっていると報告をうけ、写真を貼付。
年間まとめ〜資料8 写真資料1・2・3
(昭和63年) 担当 服部
今年度は、情緒の安定をはかる事を目標におき、落着かない興奮気味のときは、事前に本人に言ってきかせるか、場所を移動する事により気分の転換をはかっている。
何故興奮するのか、原因を探ろうとするが、漠然としていて分からない状態。音楽を聞かせれば落着くのではと考え様子を見ているが、調子が悪くなるとカセットレコーダーに八つ当たりするような事が有り壊している。
居室は4人部屋であるが、他の園生がお互いに干渉しない事も有りトラブルは、ほとんど見られず。また、余暇中DR(TVのある休憩室)に来る事は無かったが、皆と一緒にいる事が多くなっている。
(平成1年) 担当 浜村
情緒の安定をはかりながら歯磨き習慣と付けていく。また、日常の関わりかたに重点をおく。声かけを明るいタッチで行なったり、不調の時は軽く流すだけにしたりして、不安定な部分を軽く出来るように接している。
前期は耳いじりをして、硬い表情見られるが、後期9から10月になると反応がよくなり、11月からは声かけに素直に応じ安定した状態になってきている。
今年度癇癪以外の問題行動の変化
@ パジャマをきたままトイレにいった際に下までおろして濡らしそのまま箪笥になおしこんで、注意をされても治らなかった事が、本人に余裕を持たせるようにしていると、無くなっている。
A 冬時期声かけして着用させてもすぐ脱いでいたが、HR時に声かけしながら見ていると、その時は持っているが、暫くして着用し作業に向かう事ができ、その後、脱ぐ事は無くなっている。
以上のように歯磨き・日常の関わりの中で、自分の流れをつかみ情緒の安定につながったと思われる。
家庭での問題行動の変化として、昨年まで帰省して家に着くと玄関から風呂場、台所、居室と置かれているものを1つ1つ置き換える長時間の神経質な拘り徐々に無くなり、全くしない日も見られるようになる。また、みかんがりにいった際、ただ見ているだけだったのが、今回は自主的にみかんをちぎりを行なっていたと、今迄考えられなかった行動に、両親ともその安定ぶりに大変喜ばれている。
学園でも育成会スポーツ大会に参加。この時期不安定だったのが、スムーズに参加できるようになっている。
他傷・破壊行為が昭和56年入所当初、他傷40回・破壊行為51回だったのが、平成1年では、他傷が、2回で破壊行為が、3回になっている。 資料9
(平成2年) 担当 浜村
日常の関わりとして、拘り・執着・苛立ち等小さな面での干渉はさけ、本人の自発意志を大切に日常日課をおくれるようにし、その時々の状態を見ながら指導していく。
歯磨き指導も@声かけとあとで約束 A声かけとブラシコップを見せる Bブラシコップと食後間近の食卓におき本人に「歯磨き」と確認をとる。
以上の事を@からA・Bへと毎日実践していくと次第に応じる回数が多くなり、現在の所Bの方法で進める。本人がリラックス出来る環境作りを主体に進める事が出来るようになった。
この事により、必ず歯磨きに行くようになり自主性が生まれてきている。
また、食事面では、まれにしか食べない野菜なども全量摂取出来るようになってきている。
今年度は、人への危険な他傷行為は0回で破壊行為は6回。
以上の事をみると、彼の持つ危険な問題行動が目にみえて少なく、小さな物になり彼の情緒の安定がスムーズに行われた事がうかがえる。
(平成3年) 担当 浜村
昨年の歯磨きBをベースにして、C軽い声かけだけで行なえるように指導。8月後半にCの状態が見られたが、結局Bの状態で終わっている。
起床時、取り組み悪く拘りが強い時は、歯磨き・食事と不安定さが当然であるが、見て取れる。その場面だけを見て日課の遅れなど注意していると、更に状態が悪くなるため、「拘り」は、本人自身の不調を自ら解消しようという行動ととらえ、プラス方向への解消法が今後の課題となっている。
この点、ロングホームルームに学習を取り入れている。参加において、始めは「せん」と言って拒否していたが、1月中旬より参加のみから始り、1月30日には、どうにか白のクーピーで帯状に塗る事が出来その姿勢が、前向きになりこちらのアプローチに対しわりとスムーズにのれるようになっている。 写真資料4
他の園生からちょっかいを出され、興奮状態・他傷行為につながっていたものが、無くなってきている。
家庭とのつながりとして、1週間の行動記録(資料10・11)を付け帰省時に渡し、家庭での状況も記録していただき、一日の行動が時間で把握できるようにし、学園と家庭の状態をよりわかりやすくして、お互いの意見・情報交換に役立てている。
前年度に比べ、今年度は更に落着いたと保護者より伝達を受ける。(盆・正月等帰省が長くなると、調子よくても興奮や興奮気味な行動が見られていたが、今年度は無かったとのこと)
1月の誕生会での外食で、ステーキとご飯をぺロッと食べたことを報告するとびっくりされ大変喜ばれている。(母親の経験上ありえない事)
激しい興奮として、6月6日食堂の前で昼食をまっている○○君の左手を噛む。7月25日作業で散歩より帰ってきたときに急に興奮し走って帰園している。計2回となり落着いている事が見て取れる。
この事は、こちらの接し方で、情緒の安定へと促す影響が大きく、また逆に接し方次第で、急にマイナスへと変化し、危険な方向に誘引する事になる。
本人の部分的な生活の不適応だけを見るのでなく、良くなろうとする意欲付けをこちらから働きかけていく事が必要と思われる。
(平成4年) 担当 浜村
昨年同様に、拘り・執着・苛立ち等の小さな面での干渉は避けながら、自然な流れの中で生活を積極的に送れるように指導。また自己表現として、クラスの友達の和に入って、学習に取り組めるように誘導し、指導していく。
歯磨きは、昨年同様にBからステップアップ出来るように声かけ誘導しないで行なえるように、テーブルに置くだけにしていると、前段階をふまえた上での指導である為スムーズに応じることが出来る。次の段階として自主的に歯磨きに参加することは、彼の食べるペースにより遅れる為いまだ定着出来ない状態。
歯磨きの内容面では、介助が主体であるが、うがい水を飲む癖が有り、なかなかなおらない状態であったが、12月12日こちらの声かけ仕草に呼応して「ぺっ」と吐き出す事が出来るようになる。
学習面では、強制するのでなく本人の自発性を促す事を主体に実施。5月12日昼食後声かけによりスムーズに応じた後は、拒否が続いていた。12月に入り、継続してこちらの声かけに対して応じるようになり、軽い声かけ誘導により参加出来ている。内容面では、ただ座っている事が多いが、この状態を維持していく事により、更に学習内容面でも今後伸びが見られるのではという展望がうかがえる段階に入ったように思われる。
家庭での状況として、長期帰省(夏・冬)は、昨年以上に落ち着き家庭での安定期に来ている事が報告より見て取れる。
学園行事では、クリスマス等で歌を歌ったり、安部田君の催促で御菓子をやったりする行動を目の当たりに見て、本人が学園生活を楽しんでいる光景を喜んでいる。
危険な興奮は、年2回で起こした後は尾を引く事無く、特に問題無い。全体的に昨年度に比べ、更に今年度は落ちついている事がうかがえる。
(平成5年)
自閉的・情緒障害という事を念頭に入れて、こちらのペースでなく本人の情緒の状況を常に頭に入れながら、日々の生活充実をはかれるように行なう。
歯磨きは、テーブルにおくことが習慣つき、それを見ると「歯磨き」との返事が聞かれる。昨年度はしたりしかったり(食事の遅れなどで)であったが、今年度は、完全に近い形で定着。そういう意味で、習慣化が成功している。
家庭では、帰省状況が非常に落着いていると、喜ばれている。また、頬をかきむしる自傷は、以前のように気にして駄々心配でなく、担当の意見を聞きながら冷静に判断し、待つという行為が身についてきている。まだまだ難点は見られるが、彼が落着く事により母親自身も落ち着きを取り戻し良い方向に変わってきている。親子旅行時に初めて人前で舞台の上で歌をうたえ、皆から拍手をもらい嬉しそうだった。
平成6年2月11日(金)早朝に突然父親が他界し、母親の同様が、心配される。今後の親子関係を配慮しながらの指導が大切である事を感じる。
(平成6年) 担当 浜村
大きな興奮として、5月30日散髪後の入浴から出て来た際、興奮あり力任せに戸を閉め、鍵を壊す。9月15日(木)午前11時、久しぶりにテーブルをひっくり返す興奮有り、入所当初頻繁に見られていた行為があげられる。 写真資料〜5・写真資料6
今年度の大きな変化として、冬場情緒が不安定で、自分の顔の1部をかきむしる自傷行為が長く続く事が常であった。
12月帰省したときに家で見られ出したが、学園に戻ってからは逆に安定してきて、自傷が無くなる形が定着。
2月11日早朝父親が急死、葬儀の時に仏前で静かに合掌している姿には驚かされる。また、かなり母親に動揺が見られる為、親子関係を配慮しながら永末敦志君の事を話し、親自身が出来る事・家での役割等を話し合っている。そうする中、彼の安定状況を見るにつけ学園に安心を抱く事が出来、笑顔で応対できるまでになっている。
(平成7年) 担当 浜村
興奮として
8月25日〜◎◎君がしつこく手を扱ってくる為、手のところを噛み付いている。
8月26日〜▽▽君に足を踏まれ、その反動で噛み付きに行く。2回とも軽いもの。
10月28日金丸彰がちょっかいをかけてきて、腹を立てたようでカセットを投げている。
12月22日クリスマス会時、○○君の頭を叩いている。
以前あった大きな興奮は見られなくなり、原因がはっきりつかめるようになってきている。其の為こちらで其の為そのことを配慮していけば後に尾を引くこと無く日課の流れについていける。
家庭で不安定な面が見られても学園で、状態がよくなるといった方向性の中から更に昨年1月等に長く見られた自傷行為が全く見られず、冬場にも安定した状態が保てるようになっている。
学園祭前日、ボランティアにきてN・A君の帰省したい素振りを見て、母親自身が不安となり、結局連れて帰る。父親が前年急死した事もあるが、どうしても母子分離(自立)が出来ない状態があり、援助が必要。
本人との人間関係で、自己主張をする行為が多く見られる。(赤と青の服どちらを選ぶ事ができる)
家庭では、6月25日帰省した際に、御菓子を紙袋に入れてくれるが、指差して手提げ袋を要求。母親が初めての事で、大変喜ぶ。TVチャンネルも要求してくる。(7月)
このように家庭でも昨年までは無かった自己主張の芽生え出している。
母親への配慮として、本人が不安定なとき拘り時間がかかる為、焦って急き立てて本人を怒る行為にたいして、冷静に本人の状態把握して母親自身が、正確に判断ができるように説明援助している。
其の為帰省帰園が自分の思うようにいかない為、不機嫌な状態で、母子ともに帰園していたが、12月
の帰園では、「今日は時間を遅らせてきました」と余裕を持てるようになっている。 資料12
(平成8年) 担当 浜村
興奮時の行動の変化として、サッシを力づくで閉める行為であったのが、7月見ていると、ユックリ閉める事や、全力ではなく小走りへとなっている。 資料13
自傷行為・顔の掻き毟りもその程度が小さいものに、また1週間と長く続かず2〜3日と短くなっている。
母子関係では、入所当初より生活に不適応な面が見られていたが、本人の情緒の安定が進んできたので、今年度はまず母親の方から理解を求めて、徐々に自立への方途を位置づけている。其の為4月当初よりその事を察知した抵抗とも動揺とも取れる起床時の布団畳みの拘り時間を要す状態が、顕著に見られる。
12月に入り、こちらの声かけ誘導に乗ってきて応じることが出来出している。
今年度は更に落ち着きが見られるが、本人の持つ激しい興奮は無くなったのではなく、元来持っている為その行為が表面に出ないようにこちらがその時々の状態を正確に把握して、不満のたまらないように生活の発散出来る場を作っていく事が大切である。
そういう意味で、団らん時(作業終了後のクラスの時間)にTVを熱心に観るようになった事は大変な進歩である。
また、環境整備として部屋にコルクボードをおき装飾して、いる。昨年までは、壊す事が考えられたが、最近の落ち着きを見て行なっている。(その後壊す事はなかった。)
家庭面では、母より学園の休み前前日に帰省させたい等有り、そこで、理由をきいて重要でない時は、今迄の彼の成長経過を話しながら、学園の流れにそうことが彼の自立に必要である事を説得している。
(平成9年) 担当 浜村
平成9年2月に水疱瘡なり顔の掻き毟りがその後も尾をひいて9月頃まで続いている。その後止まっているが、1月額の掻き毟りが始っているが、昨年や水疱瘡の時に比べかきむしる行為をHRや生活域で見かける事が少ない状態で、掻き毟りも少ない。
激しい興奮、他傷は2回で物にあたる行為は1回。
また、今年度の大きな変化として、サッシを力任せに閉める行為が見られなくなっている。
このように入所当初自分の内にため込んでいつ爆発するかわからず大変危険なを感じる事は無くなってきている。しかし、昨年に比べ、布団に拘り起きてくる事への拒否・不安定な状態が見られる。その際、無理な日課への取り組みはせず本人の状態を見ながら声かけ・誘導していくステップ方式と他の事で場面切り替えを行なう事を並行して実施していき、大きな興奮を起こさずにスムーズに取り組めている。
水曜日のコーヒー購入時の自動販売機使用に際して、100円を入れる財布を用意して習慣づけを行なっていると、9月自分から財布を準備して廊下に待つ事が出来出して、現在夕べの団らんをしている居室に持ってきて待つことが出来ている。
また、居室掃除で、掃除機を使用した掃除を実施。当初介助が必要で、7月新しい掃除機で、要領がつかめずスイッチを入れる事が出来なかったが、本人の状態を見ながら訓練を行なっていくと、きちんと
畳の目に合わせて行い、1月に入ってからは、状態が悪く布団に入っている時も、間を空けながら誘導していると布団に拘って出てこない時も、出て掃除する事が出来ている。場面切り替えに役立っている。
家庭面では、母親のわがままな面は見られるが、その都度説明し了解を得るようにして、母親自身の中で抑えようとする葛藤が伺えている。
今年度特筆すべき事は、入所以来情緒不安定で採血が取れないでいたが、11月28日軽い声かけと誘導で応じることが出来る。
(平成10年) 担当 浜村
母子の適切な関係保持・自立の定着として、学園の流れにあわせた帰省の定着をはかっている。母親はどうしても早めに連れて帰りたいとの衝動が、入所当初より変わらない。その一つに面会日前日の土曜日は帰らない事を本人に説明してと言ってきている。それが、今年度後半無くなって、2月6日の面会日前日「本人が、我慢しているからと、帰省をあわせる事が出来ている。このように、繰り返し永末敦志君の成長している事を認めざるおえない状況を作り説明しながら進める事で、母親の気持ちが動き出している。
水曜日のRK(ルームキーピング)の日、掃除機掛けを引き続き行なっているが、不安定時は、荒く力が入り興奮気味になり易いが、1月不安定でやっと応じる状態から徐々にペースをあげ自室だけでなく、会議室・医務室もこちらの声かけで行なえるようになっている。不安定で、家・母の事を気にする事から、学園生活の流れを取り入れようとする行為の幅がでている事がうかがえる。
昨年と同様に布団に入る拘りが多いが、昨年に比べ布団から出てHR・生活に参加出来るようになる。これは、団らん時に御菓子・ジュースまたはコーヒーがでて、本人の中に楽しみがで来たことと、掃除機を使用しての居室掃除で、日課の参加習慣の位置づけをして、場面の切り替えに行なう事で、日課参加出来るようになっている。
平成10年3月にN・A君が肺炎で入院が言われたときに(決まったとき)、倒れたとの事。神経質で、もろい部分を持っている為、両者に自信・希望を与えながら、互いに自立できる方向性を作っていく事が今後の課題。
(平成11年) 担当 原
今年度は担当が替わり、本人との信頼関係を作る事から始める。布団への拘りに対して、本人の好きな御菓子・缶ジュース・日課参加・帰省の事・本人の状態を見て褒めていったりしていると、表情に笑顔が多くうかがえる。また次にすべき事もはっきり伝え励ましながら進めると、10月以降幾分か落着く。しかし起床後の床上げ・着替え・朝食参加に時間要す事が多い。調子の良い時は、自ら取り組み日課にそぐえる事がある。週の初めは不安定で帰省間近の週末は安定しているといった経過であるが、週によって状態が異なる事も見られている。
全体的に日課に添えないという事だけにとらわれず、不安にならない状況、混乱しない状況を優先し対応していく事を基本姿勢として本人の成長を促していく。
6 改善点
@ 破壊行為が少なくなり、その程度が弱い物になっている。当初見られた、テーブルや箪笥などをひっくり返す・サッシなどを強く締めてガラスをわる等は無くなる。
A 他傷行為として、自分の頭・手を人に押し付ける行為は無くなる。当時人を噛む事に対し、職員から「犬は噛んで当然だが、人間が犬のように噛む事は聞いた事がないと言われるほどであったが、そんな事は現在、全く見られない。
@・A共に平成元年以降に減って、ほぼ横ばい状態が続いている。
(@・Aは、グラフ参照 )
B 自傷行為は、いまだ見られるが、以前のように長時間行なうものは無くなってきている。
7 改善に至った要因
入所当初、癲癇発作と診断され、彼の起こす問題行動はその発作だと考えられていたが、彼との関わりの中でヒステリー発作状態が見て取れ、感情面での表現方法としてうかがえた。当初は、16歳と年も若く、病院に入れられたことで、大変な人間不信になっていたと思える。其の為、癲癇発作ではなく、癇癪・ゲッテンとして捉え直し関わりを深め、今日に至っている。
折れ線グラフから、全体の推移を見てみると、昭和59年度より大きな変容があった事が見て取れる。
その1つの証左として昭和59年の他傷・破壊行為を1週間の表にまとめてみた。
昭和59年度の1週間の様子
曜日
月
火
水
木
金
土
日
回数
4
2
4
11
8
2
1
この年は、まだ彼の情緒が安定していないときで、家庭との話し合いのもと、土曜日に帰省し、日曜日に帰園するという形をとっている。
この表では、木・金曜日に普段より多く問題行動が見られる。帰省前であり学園生活と家とのギャップ等がうっせきし、苛立ちに拍車をかけていたものと考察出来る。(帰省を意識する行動として、何回も居室より玄関に来て様子をうかがったり、関係ない車が玄関に止まっただけで、居室より走ってきて車に乗り込んでしまうという行動がよく見られている。)
また、彼の問題行動の出し方として人や物にあたり、その発散として物に行くより人に行く方が、より不満が大きく現れると考えられる。昭和59年度より、ただ本人の起こした問題行動に対する処置、配慮だけでなく1日の生活において本人の情緒安定をはかり、接する事に重きをおいて関わりを深めていく。
その結果、突然・突発的におこしていた問題行動が、ゆっくりためらいがちに出すといった行為が、見られるようになる。
また、癇癪の出し方も段階を迫って現れている。この事は、本人の中で抑止しようとする行為が出てきて、良い方向に働き出したと考えられる。
この昭和59年の前半4〜7月は、いきなり人に行く癇癪・興奮がみられたが、後半8〜昭和60年3月には人から物へと癇癪・興奮の携帯が移行していく。
このような点を考察してみると、彼の起こす問題の大きな原因は、環境の変化に適応する事が普通の人に比べ時間を多く要し、自分の思考を相手に伝える事が、下手な為(最重度・自閉傾向等により)に起こる不満のうっせきが当初職員の側も理解できず、突然・突発的に出ていた。彼の特性を理解し接する中で、徐々に情緒の安定が得られるようになり、自分で興奮を押さえようとする行動となり、現在のような安定した状況になっていると考えられる。学園で多くの体験をさせ、人間関係を少しでも持てるようになった事は大きい。
8 まとめ
彼を通じて、施設に生活するといっても家庭と切り放して考える事は出来ない。親の存在がいかに大きなものかを、障害がある無しに関わらず1個の人間として痛感する。
施設に生活する人達にとって、そのパイプ役になるのが担当職員である事を考え合わせると、非常に責任の重さと、やりがいを感じる。
その根本姿勢は、どこに希望を見出していくかではないだろうか。
彼の施設での生活・作業の自立。それは、本人に会った場の設定いかんで基本的なものが出来上がる。とはいうものの、その設定の難しさを感じると共に改めて、最重度者は自分から何かを訴える事が少なく、単調になり易い。場の設定より人・物との関わりから生じるギャップを、関わっていく我々が敏感にキャッチし、よりよい方向づけをしていくことがベターであり、その援助活動のなかで自己と他人・物との関係をより強いパイプで結ぶ事が出来るのではないだろうか。
其の為には、我々援助する側がおごること無く謙虚に自己を見つめ、磨く事を忘れてはならない。
今後、情緒の安定を根底におき生活領域を広げる中で自然な流れの生活が出来るように方向づけしていきたい。
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