--- 鷹取学園20周年資料 ---
周期的不安定を起こす重度知的障害者への対応
平成12年4月1日
個人ケースまとめ担当者
指導員 田川亜希子
1. 問題であった具体的内容
2. 入所年月日
昭和57年7月1日 入所 入所歴 (在園期間17年9カ月)
3. ケース紹介
@氏名 N・Yさん 女性 昭和37年7月17日生 現在37 歳
A生育歴〜出産時 異常(仮死状態・逆子) 始歩20ヶ月 始語36ヶ月 離乳6ヶ月
B知的面〜 IQ 35 (TKーTB式) MA 6歳2ヶ月
C日常生活行動〜食が細く、色白で体が弱い。入所前は社会で働いていた事で声掛けに
はハキハキと答える。好きな事には意欲的に参加できている。
D身体状況〜右半身に不完全麻痺
E情緒面〜問い掛けると話すが、自分からの関わりはなし。大人しい。活発さが足りない。
Fコミュニケーション〜本人の好きな歌やバレーなどで話をすると会話に乗ってくる。
G病歴〜かん子分娩で仮死状態出産する。6ヶ月ごろから発熱するとひきつけをおこして
いた。9歳ごろになると年に数回けれん発作がおこるようになり、てんかん発作の為抗
けいれん剤を服薬する。現在も服薬中。
H保健・介護の面について〜幼児期の癲癇発作の際は、その時のみの投薬。
I作業面につて〜右半身に軽い麻痺があり、全体的に動きは鈍い。何をするにも時間
がかかる。
Jてんかん てんかん薬と眠剤は服薬中。
4.入所当時の状態
入所当時は中度で、直方養護学校卒業後、会社入社。そこで手伝い的な仕事をして働いていた。外見は普通の女性としか見られない為、同僚から暴行を受け、異性から守るという母親の強い要望で入所に至った。入所後も異性に対しては帰興味が強く、この点に関しては、職員は特に注意を払ってきた。また、家庭環境としても母子家庭である為、母親との密接な関係、母子分離ができづかった。
5.経過
昭和57年度
7月に入所。入所当時は、社会で働いていた事もあり、物事にもハキハキと答えている。母親としては、学園生活では物足りないように感じており、社会復帰を望んでいる。異性への興味も目立ち始めている。
昭和58年度
10月に○○さんとの性的脱線がある。(性的交渉には至らず)
昭和59年度
日課にはきちんと沿うことが出来るが、だんだんと学園生活に慣れ出して、突然に鬱的、不機嫌、ヒステリックな症状が出始めてきている。10月に投薬の変更がある。
(資料1手書き分担当者日誌)
生理に関しても強いこだわりがあり、生理前はイライラする傾向にある。
昭和60年度
入所当時より整理整頓と言うことを指導してきたが、以前は汚れた靴下などをロッカーに収納していたり、濡れたタオルをそのままにしていた。年度の後半より、徐々になくなりロッカー内も自発的に整理するようになった。小物類の整理について粗雑さは残るが成長は窺がえた。また、作業も充実している。しかし、帰省期間中の家庭状況を学園までも引きずっている。 (資料2 精神科の報告書より)
昭和61年度
以前より好意を持っていた○○さんとの関わりに関しては、○○さんが窓越しに話かけて来たりしている。しかし、洗濯場にて接触があっていから(資料3−1、3−2、3−3、3−4 手書き担当者日誌)は、異性に関しては少し神経質になっている状態。
昭和62年度
生活面では、引き続き、衣類整理などを目標にあげて取り組んでいる。しかし、私物が多くなかなか整理が出来ない。特に異性との関わりはなし。
昭和63年度
生活面では、衣類整理と情緒の安定を目標にあげて取り組んでいる。依然、生理前のイラツキはあり、他園生への強い口調も聞かれている。染色の作業面では、意欲的に取り組んでいる。
平成元年度
8月に左肘のケロイド部分の除去手術を行うが思うように良くならない為、かなり落ち込みがあっている。また、母親との関係に関しては、母親の体調不調、行事不参加によって本人にも影響が見られた。 (資料4−1、4−2 手書き月まとめより)
平成2年度
日課はマイペースで取り組めている。同室者の世話を良くしてくれるが声掛けは命令口調になちがちである。また、月に1〜2回、母親の仕事の休みに合わせて帰省を実施する。母親の前では、萎縮している。 (資料5 精神科報告書)
平成3年度
徐々になれが窺え始める。同室者への命令口調が聞かれ始めた。 (資料6 精神科報告書)班の中での人間関係を考慮して手芸班から農耕班へ移動。
平成4年度
職員の顔色を窺うことが多く、被害妄想的な意識が目立つ事が多い。帰省を喜び母親の話が多く聞かれている。
平成5年度
女子棟(ディズニーホーム)から重度棟(フラワーホーム)へ移動し、重度の△△さんと同室になり、△△さんの泣きぐずりでイライラする一年であった。時には「夜中に戸を叩く音がする」「生理がないからイライラする」「私が△△さんを叩いたり蹴ったりしていると思われている」と興奮しもどりながら訴えてきている。(被害妄想が現れる)
平成6年度
春休み帰省中より、精神状態が悪くなる。生理が遅れた事で母親に「指導員にいたずらされた、犯された、春休みにお母さんと産婦人科に行きなさいといわれた」と訴えている。通院の結果は異常なし。5月6日幻聴・幻覚がひどくなる。安定剤投与でだんだん落ち着く。9月28日も幻聴・幻覚が見られる。(資料7−1、7−2 ケース会議資料)
平成7年度
同室者の生理介助を進んで行うが、命令口調が多く聞かれる。
平成8年度
新人の男子職員との交換日記を始めている。(秘密を楽しんでいる様子)同室の重度者に命令口調、ヒステリックさが窺え、常に聞き耳を立ている様子が多い。何かを窺っている態度があり言い訳が上手になっている。
平成9年度
昨年同様、同室者には冷たい態度をとり時には叩く行為も出る。原因として挙げられることは、帰省出来なかった事が大きな原因である。
平成10年度
職員に対する見方も、自分の話を聞く職員、注意を受ける職員等と、場面に応じて見分け使い分けをしている様子。自分の嘘で同室の××さんが父親から激しく怒られているのを見て、ショックを受ける。(資料8 ホーム会議)
平成11年度
6月に熱発で自宅療養を実施後帰園する。その際、母親との会話に幼稚さが窺がえる。
10月20日〜30日、夜間に嘔吐があり以後、食事拒否がある。安定剤投与。
12月2日〜5日、12月17日〜18日、12月27日〜帰省、10月同様食事拒否。(資料9−1、9−2 ケース会議資料・ホーム会議)
冬休み明けの1月11日の夜中に嘔吐したと訴え食事拒否、嘔吐、作業拒否、帰省を要求、トイレへの離脱等の問題行動が目立ち始める。当園嘱託医である糸井先生の助言のもと全指導員で一貫性のある指導をおこなう。(資料10、資料11糸井先生の助言内容)
2月始めより若干の下痢が出始め、3月の20日には朝、下痢便の失便。珍しい事である。以後、出血や下痢が見られ始める。また、食事を摂らない事で貧血も発生。体調の悪さを考慮して検診をするようになり、魚住医院に通院し直腸ガンと診断。3月27日に入院となる。3月31日現在入院中。
6.改善点
入所当初は異性問題があったが、昭和62年以後から現在まではない。
7.改善に至った要因
平成6年度に精神科疾患がひどく現れたが投薬にて落ち着く。、
長い入所生活の中でいろいろな体験を通して人間関係をが長くなり落ち着いてきた。
8.まとめ
当学園の現在は最重度施設であると言ってよい。当時中度として学園入所。学園生活は開所以来19年と長く、精神面ではかなりゆがんだ成長をしている。学園の中では重度者を見下し、職員を見分けながら、裏と表を使い分けて生活している。病的な面が時に強く出る時もあり、自己顕示欲を誰よりも強く出す。指導員としては、指導の方向を見失わず、現実を見つめ現在の社会性に適応できる教育をする事が大切であり、正しい方向に導く事が大切である。また、指導上で人と人との関わりを正しくさせる事も重要だが、精神科疾患である為、精神科治療が重要となっている。作業についても人間関係のもつれで色々と変わってきたが、女子だけの染色班に入り一生懸命頑張っていた。
当園においては女子の中ではリーダー格としてボス的な存在であるが、重度の知的障害を持って生まれてきた事に変わりはない。施設生活約20年を経験してきた中で、彼女なりに喜び、怒り、悲しみを感じてきたと思う。平成12年4月直腸ガン手術の為入院という形になったが、「園に帰りたい」と言う彼女を今後も見守って行きたい。
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