--- 鷹取学園20周年資料 ---


          農  耕  班
                           担当責任者 服 部 年 春
                                 

1. 班の成り立ちと経過  
 昭和56年開所当時の農耕作業についての考えは、「知的障害者には青空の下で、のびのびとゆっくり仕事のできる作業種目としてはぴったりのもの」として考えられていました。   
 全員かがりで畑をつくったという思い出があります。当時は下の畑はまるで原野で、野うさぎやいたちが所狭しと走り回っている状況で、開拓者のような働きを入所者の皆さん、職員の皆でしたことを覚えています。最初はせいたかあわだち草の刈り取りに始まり、近所の農家の方に牧草用大型トラクターで耕起していただきましたが、畑と言える物ではなく、岩盤の上を火花を散らしながらトラクターが走り、そのために鉄の爪が何本も折れるといった状態でした。昭和57年度12月より11トンダンプで大量の土を入れ、やっと畑らしくなりました。実際に農耕班が動き出して分かったことですが、青空のもと広々とした自然の中で美しい空気を吸って健康的に動き回る仕事として農耕は大変知的障害者にとって適している。知的障害者ならば、どんな人にも向くであろうと思われた作業です。しかし、実際には、草を指で抜くことの難しい人がどれほど多くいるかという事です。草を抜ける人はよい方で、重度の人にとっては、畑という場所が理解できづらく、共同で作業をすることができる対象者が少ない事でした。そこからの出発でした。
 2年目は収獲前の作物を草と同様に引き抜き処分してしまったということもあり、失敗の繰り返しでした。19年経った現在は収獲までの工程を理解できるようになり、班としていろんな作物を栽培出来るようになりました。20年を迎える間には、班メンバーが途中で何人か入れ替わったものの、20年間農耕班継続というつわものが2人います。「継続は力なり」です。その他のメンバーについても、ここ10年間殆ど替わっておらず、身体も他の班の人と比較しても丈夫で、風邪も殆ど引かず、現在に至っています。
 昭和56年開所当時から殆ど私が農耕班を担当しておりますが、鷹取学園に就職するまで、農業に携わった事がないため、種の蒔きかたすらわからず、参考書を手にして作業を進める状態でした。ましてやビニールハウスの中入った事もなく、野菜を育てるという知識も全くなく、トラクターについても昭和62年に購入しましたが、操作も全くわからず、農業指導に来られている牧村臨時指導員も花と品種改良の専門の方で、機械についてはそんなに知識もないような状態でした。しかし、耕さないと作物は作れません。傾斜地でトラクターが倒れそうになった事やぬかるんで全く前に進まず、相談する人もいず困った事や、耕うん機ごと畑から道路に飛ばされ、肋骨を骨折したこともありました。ましてや作業だけではなく、生活の場面での指導もあります。開所当時の職員は殆どが何から何まで初めてのことで、心労ととまどい等で胃潰瘍や十二指腸潰瘍に全員罹ったという経緯もあります。
 農耕作業で困る事は、作物ができていないと指導ができないという事です。そのために指導者が来られ、知識を職員、園生に与えるという方式をとっていただいたことに感謝しております。現在は草刈りができるようになった人が2名、ほぼ確実に定植もできるようになった人も1名います。暑さ寒さといった自然の影響をまともに受け、正直いってあまり楽な作業ではないと思います。プレハブにはエアコンが設置され、暑さ寒さをしのげるようにはなっていますが、プレハブで時間を過ごすという事は余程のことでない限り、できません。それでも園生の皆は楽しく過ごす方法を長年の経験から自分たちなりに考えているように思われます。一つの作業をするにしても特に指示をしなくても○○さんは鋏を、××さんは紐を手にしているという阿吽の呼吸も身についています。今後は体力を考えて、能率の上がる方法を模索して実践し、楽しみながら作業を進められるよう努力していきたいと思います。
 昭和58年から継続して栽培している野菜の収穫量と金額を表にしています。参考にして下さい。 
                        



   写真 作業風景(畝溝土あげ)           写真 作業風景(春菊収獲)

2.作業主旨・目的
 農耕班は体力があり、屋外作業ができ、共同作業が可能な人たちのグループで、目的として作業を通じて持続性を養い、野菜をつくれるようになること。それには暑さ、寒さに負けない体力をつける必要があります。最終的に野菜を作れるようになることとなっています。
 作物を育てるには、種まきから手入れ、収獲までどれ一つとして除いてよいという工程はありません。天候に大きく左右される班ではありますが、手をかければそれなりに実績が上がり、手を抜けば手を抜いた分だけしか野菜は育ってくれません。ただ、その中でも大事な作業が草取りです。草を取らずに放置しておくと、野菜は育たない、野菜に気がつかずに畑を踏み歩く彼ら特有の結果になります。それだけ大事な草取り作業ですが、正直なところ入所者の皆さんが一番集中力に欠ける、やりたがらない作業です。
 しかし、農耕班のメンバーは収獲の楽しみも分かっており、楽しんで作業に参加しています。今後とも楽しみを倍増できるような環境作りをしていく工夫が必要と思っています。



3. メンバー構成             平成12年4月1日現在
園 生
性 別
年 齢
I・Q
知能指数
 M A
 精神年齢
判 定
 その他の障害 
I・K
 男
45
 17
3歳0ヶ月
重度
言語障害
G・T
 男
42
 12
2歳3ヶ月
最重度
言語障害・脳性麻痺
H・K
 男
47
 20
3歳7ヶ月
最重度

M・K
 男
35
 16
2歳11ヶ月
最重度
非定形型精神病
Y・T
 男
45
 25
4歳6ヶ月
重度
言語障害
M・E
 男
30
 30
5歳3ヶ月
重度

T・K
 女
40
 28
5歳0ヶ月
重度
水頭症

4. 作業内容
 作業内容としては、@草取り、A消石灰まき、B化成肥料まき、C牛ふんまき、D耕起、E畝溝土上げ、F表土ならし、G種まき、H水かけ、I手入れ、J追肥、K収獲、L収獲物処理という順序で行っています。
 消石灰、牛ふんまきについては、指示をすれば大体できています。ただ風向きを考えずにまくために身体中が石灰まみれということもあります。種まきに関しては、ポットに大粒のインゲン、枝豆を実施させています。極小さな種の人参、レタス等は種が小さすぎて、指先で数粒だけつまむということが難しいようで、1ヶ所に蒔き過ぎる為、1トレー
約40個ほど)実施させています。種の小さな物については、発芽させるまでは主に職員が行い、定植についてはほぼ全員で実施しています。
 収獲に関しては、きゅうり、トマト、大根、インゲン、白菜とかなりの種類のものが指示だけでできるようになりました。ただ、時々トマトの色づき具合や、きゅうりの大きさに首を傾げる場面も見られますが、長いこと同じ作業をしており、繰り返しの学習を積み、慣れるということが大切と言えます。定植に関しても、植える穴を空けておけば、多少は深くなったり、浅くなったりとマチマチな面はありますが、随分上手になりました。
5. 作品紹介 
  農耕班の場合、作品紹介というより、栽培している野菜を列挙したいと思います。
  春野菜〜ネギ、トマト、きゅうり、カボチャ、ピーマン、青シソ、ジャガイモ
      タマネギ、枝豆、ホウレン草、小松菜
  秋野菜〜大根、白菜、人参、タカナ、小松菜、二十日大根、レタス、長芋 等です。


       写真 作品(長芋・さつまいも)             写真 作品(ホウレン草)
6. 班の資料  
 年 度
    園   生    
 各年度の担当者
昭和56年度
 男子7名、女子7名
 服部・薦田・木村
昭和57年度
 男子7名、女子10名
 竹並
昭和58年度
 男子6名、女子4名
 竹並・中原
昭和59年度
 男子4名
 竹並・中原
昭和60年度
 男子5名
 竹並
昭和61年度
 男子4名、女子1名
 服部
昭和62年度
 男子8名、女子1名
 服部
昭和63年度
 男子8名、女子1名
 服部・野村
平成1年度
 男子8名、女子1名
 服部・野村
平成2年度
 男子7名、女子1名
 服部・野村
平成3年度
 男子6名、女子2名
 服部・中野
平成4年度
 男子6名、女子2名
 服部・中野
平成5年度
 男子6名、女子2名
 服部
平成6年度
 男子5名、女子1名
 服部・田川
平成7年度
 男子5名、女子1名
 服部
平成8年度
 男子6名、女子1名
 服部・谷口
平成9年度
 男子5名、女子1名
 
平成10年度
 男子5名、女子1名
 服部・保坂
平成11年度
 男子6名、女子1名
 服部・仲野

7. 班のあゆみ
 昭和56年度
 この年は農園芸班という呼称で、草花と野菜を一緒に栽培することで作業をすることでスタートしました。当時は畑を耕す際は、三つ又や唐鍬という人力で行う為、作業が捗らない為、近所の農家の方にお願いしてトラクターにて耕起していただきましたが、あまりにも土が少ない為に、広々とした畑にさつまいもを植えましたが、労むなしく全く収獲ができませんでした。その上収獲間際の菊を私が市内に種の購入に行っている間に全て鎌で刈り取るということもあり、当時の波多江園長ががっかりされていました。
 班としての収入は5,300円という状態でした。

 昭和57年度
 農芸班という呼称に変更になりましたが、内容的には昨年度と全く同じで野菜を作りながら、同時に花の栽培もするということで進めていました。職員2名で園生は17名という大所帯でした。
 班としての収入は88,363円とまだまだでした。

 昭和58年度
 開所当時の農園芸班という呼称に戻りました。耕うん械を購入し、少しは職員が畑作りを行うようになりました。しかし、まだまだ部分部分は人力による耕起作業です。
 作業の内容はアスターやガザニアの栽培と大根等の野菜の栽培ですが、野菜の方まではなかなか手がまわらない状態でした。

 昭和59年度
 男子職員1名と男子園生4名で本格的に野菜を作る為ということもあり、農耕班という呼び方に変わりました。この年より農耕班の技術の指導をするために牧村氏が来られるようになりました。

 昭和60年度
 畑の耕起は部分部分でまだ三つ又や唐鍬で行っています。市内の農家の方に休耕田をお借りして、ジャガイモを栽培しました。

 昭和61年度
 野菜の他に苺とメロンの栽培を始めました。メロンを栽培するのに3月の中旬から7月の中旬までの4ヶ月間1日も休めない状態で、管理も非常に難しいということがわかりました。苺にしても、1つが病気になると次々に伝染するため、これも管理が大変でした。

 昭和62年度
 畑の種まきをするのに種まき器を購入しました。今まではずっと平鍬で蒔き溝をつくり、種を蒔いていくという方法でしたので、1箇所に蒔き過ぎる傾向にあり、間引きも大変でしたが、腰の痛みもなくなり、とてもスムーズに作業が進められるようになりました。
 同時にトラクターも購入し、部外者の方にトラクターによる耕起を依頼しなくてもよくなりました。しかし、職員はトラクターに触れるのも初めてで、操作をするのも何から始めてよいのかわからない状態でした。
 この年はメロンが125kgの収穫高で、売り上げも114,270円ありました。

 昭和63年度
 職員は男子2名となりました。メロンの栽培は管理に手がかかる上難しい為、栽培をやめています。7月に開催された市内のまつりくらじというイベントに参加し、1本150円のとうもろこしで133,800円という売り上げを記録しました。汗だくになって身体中の水分がなくなるかと思ったほどでした。

 
 平成1年度
 この年は梅雨時期の長雨が続き、作物が根腐れや疫病にかかり、トマト、ピーマン、ジャガイモなどがかなり腐ってしまいました。

 平成2年度
 園外に畑を2ヶ所借りて、野菜を栽培するようになりました。昨年とは反対に日照りが続き、予想以上に畑の水かけにかなりの時間を要しました。

 平成3年度
 この年は梅雨前からの長雨で、思うように作業が捗りませんでした。園外に借りている畑に放し飼いの七面鳥がいるため、野菜がかなりつつかれて大半を失いました。大きくて怖い為、職員・園生ともども怖くて近寄れない状態でした。ただ、初めて植えた長芋が台風19号の影響で、支柱のパイプごと吹き飛ばされ、あまり収獲ができませんでした。

 平成4年度
 昨年度に引き続き、職員は男子1名、女子1名の編成です。この年はHさんがいつになくよくできたキャベツの苗に黒い虫がついていると気をきかせて、男子の宿直室よりフマキラーを持ってきてかけたため、350個の苗が全滅してしまいました。昨年同様秋の台風の影響で、路地植えのきゅうりがパイプごと吹き飛ばされるということもありました。

 平成5年度
 この年は職員は男子2名の編成で進めていましたが、職員の退職の為、異動を余儀なくされ、結局1名で作業を進めることになりました。

 
 平成6年度
 この年は猛暑、異常渇水、秋には台風の上陸と散々で、その上冬は5年ぶりの大雪となり、弱り目にたたり目という状況でした。

 平成7年度
 担当が研修のため、1ヶ月間留守にしました。研修の前日に植えたとうもろこし約800本が全く収獲ができずに終ってしまいました。

 平成8年度
 この年はいつになく好天に恵まれ、作物は順調に育ちました。園外に3ヶ所畑を借りて作業をしています。

 平成9年度
 この年は空梅雨でしたが、7月に入ると大雨が続き、人参、インゲンが水浸しになり、腐ってしまいました。お借りしていた直方養護学校の裏側の畑を地主さんの都合により、急遽手放すことになり、予定していた野菜の収獲ができなくなりました。

 平成10年度
 昨年より直方養護学校裏の畑が使えなくなった為、新たに学園から自動車で5分ほどの所に畑を借りるようになりました。ただ、作物を何年も栽培していない為、初年度は思ったように作物はできませんでした。とうもろこしはよくできましたが、保管依頼先の冷蔵庫のセンサーの故障で、約700本のとうもろこしが干からびてしまいました。
 
 平成11年度
 当初は職員2名で作業を進めていましたが、女子職員の突然の退職の為、1人で作業を進めざるを得なくなりました。そのため、計画していた野菜が作れなくなるということにもなり、秋には長雨で、無理をして畑を作った為、種を蒔いても発芽せず、収穫量もかなり減少してしまいました。

 以上で農耕班の20年間を網羅したつもりです。年間の収穫高のグラフを作製しています。
参考にして下さい。


        昭和57年当時の学園の畑です。




農耕グラフの貼り付け





































陶 芸 班
担当責任者 坂 田 俊 介
                      
   

1.班の成り立ちと経過
 昭和56年開所当時から陶芸班として活動を始め、対象者は農耕班のような共同作業には向かず、個人でこつこつと作業をするタイプの人達で構成されました。当初は粘土を手で触れる事から始まり、様々な形の物を自由に作り、思い思いの作品作りを行い、コースターに自分の顔を描いたり、好きな物を描いたりして粘土に慣れていったことでした。現在でも作業場の壁に装飾として掲げてあります。翌年より石膏型を使用しての流し込みの作業を行い、粘土を注ぐだけで奇麗な形が出来上がるといった作業手法を用いたり、タタラーを使用しての作品つくりを実施し、道具を用いての作業に取り組み、次第に個別の能力に応じた機械や道具を使用しての作業を展開してきました。その後、全体作業として昭和59年には型を利用しての作業を中心に行い、同じ形の作品がたくさん出来る事で園生も決められた作業を分担し、作品としては「土鈴」を神社に納めたり、急須作りをしたりで好評を受けました。昭和62年には外部より大型注文がきました。お神酒に使う「かわらけ」を7500枚という今までに経験した事のなかったかけ離れた枚数を全員で一丸となって製作し、現在でも毎年納期まできちんと納めております。平成2年度からは西洋陶器作りも始め、和陶器とは違う味の作品も手がけました。平成5年度からは石膏型の流し込みによる「干支の土鈴」作りに取り組み、毎年年末になると喜ばれております。手づくり作業では花瓶や灰皿等、電動ロクロ作業では一般的な茶碗や湯呑み、石膏型を使用して形が整った作品の成形も出来るようになりました。個人別指導に力を入れる方法としての作業内容は技術の向上に結びつき、現在では多種多様な作品を仕上げるまでに上達しております。園生発表の場として、外部販売や学園祭での作品販売・作品展への出展とか地域事業振興行事等に参加する事により、年々評価を得ています。

2.作業主旨・目的
 陶芸班は、園生5名(男子2名・女子3名)と職員2名(男子1名・女子1名)で構成され、日々作業に励んでいます。陶芸というものは、普段、目に触れ手に取る陶器を製作しているわけで、日常からかけ離れたものではないと思います。粘土を使用する陶芸は作品を製作する上で、指先で粘土に触れ指を動かすことにより、脳の柔軟化を図り髄脳の発達に効果があると言われています。個人別での作品づくりにおいては、それぞれの能力にあった技術指導を行うかたわら、道具や機械を使用して土作りから土練機掛け・手びねり作品・ロクロ作業・タタラー作業等、個別の作業工程を身に付け、技術の向上を目指し、全体で行う作業については、各工程に分担して効率性を高め、個人の責任感を養う事を目的としています。
 形のない粘土から様々な形に作られた作品は、それぞれ次第に形が出てくる園生自身の喜びが凝縮され、わたし達にも大いに伝わってくるものがあります。作業を通してのコミュニケーションを大事にし、情緒の安定を図り、これからの日常生活での意欲や自主性の向上に結びつくようにしたいと考えています。


3.メンバー構成                 成12年4月1日現在
園 生
性 別
年齢
IQ
M A
判 定
障 害 内 容
M・K

50
38
6歳8ケ月
中度
癲癇
M・T

31
17
3歳0ケ月
重度
ダウン症・言語障害・白内障・眼球振とう
K・S

45
34
6歳0ケ月
重度
癲癇・言語障害
H・K
 女
56 
17   
3歳1ケ月
最重度
言語障害・非定形型精神病
I・N

30
22
3歳10ケ月
重度
ダウン症・言語障害・白内障


4.作業内容・工程
電動ロクロや手びねりの作品が主で、その他機械ロクロ・タタラー・石膏押し型・石膏型への流し込みなど各自の能力に応じた作業を行っています。

1.土作り ・・・・(全員)
   乾燥した土を水につける⇒土を鉢に入れ半乾燥させる。
2.土錬機かけ・・・(全員)
   半乾燥した土を土錬機に入れて荒練り、真空練りをする。
   ⇒粘土をある程度の長さに切り、箱に収納していく。
3.作品作り
☆ 電動ロクロ・・・・・・・(M・K君、I・Nさん)  
   粘土を菊練りする(円錘形)⇒ロクロ台にセット⇒粘土を叩き、水をつけて上
   下させる(土殺し)⇒成形⇒削り仕上げ
☆機械ロクロ・・・・・・・(M・K君) 
   粘土を薄く切り石膏型に詰める⇒ロクロにセットし、レバーで抑えながら余分
   な粘土を切り取る⇒作品の内側を指で撫で表面を整える。⇒少し乾かし型から     
   外してかわらけ完成
  ☆手動式タタラー・・・・・(H・Kさん、M・T君)
   レバーを手で回し粘土を一定の厚さにする⇒石膏型などで型を取り、手で形を
   整えて仕上げる。
☆ 手びねり・・・・・・・(K・Sさん)
   粘土を円に丸め叩いて平にしたものを形どる。⇒粘土を紐状に伸ばし巻きつけ
   る。⇒紐状が見えなくなるまで伸ばす。
☆ 流し込み・・・・・・・(M・K君、M・T君)
   石膏型に粘土を流し込む⇒型を外す⇒土鈴完成
4. 乾燥
   棚板にのせ乾燥させる。
5. 底や縁を削る(M・K君、職員)
6. 素焼き(職員)
 800度で焼成  土鈴1100度で焼成
7. ペーパーかけ
 紙やすりにて表面をきれいに削る(全員)
8. 薬かけ
 釉薬の中に作品をつけ、内側と外側に薬をつける(職員)
9. 本焼き 
   薬のかかった作品を窯に詰め焼き上げる。1200度焼成(職員)



         写真  作業風景                    写真  作業風景        


5.作品紹介
  ・湯呑み      ・一輪ざし    ・ビアグラス    ・とんぶり 
  ・茶碗       ・傘立て     ・ワイングラス   ・デザート皿
  ・各種皿      ・灰皿  等
           写真  作品                      写真  作品




6.班の歩み
   昭和56年度
 陶芸班と言う名前ではあるものの4月時点で、道具等を発注していた為、必要な器具が揃うまで、下の畑の草刈りや、石拾い等の作業を5月中旬まで行いました。陶芸班として実質動き出したのは5月16日からです。真空土練機や重油窯、その他の度道具を揃える為に約280万円もの費用がかかりました。陶芸班としての1作目は土練機より出た粘土に絵を描き、釉薬を掛けて焼いたものです。

昭和57年度
 2年目を迎えた陶芸班ですが、粘土にようやく手が馴染んでたという状態でグループ別に分けて手練りによる自由製作という内容が主なもので、花瓶や箸おきを作っていました。
 まだメンバー編成も適性がわからず、総勢17名の大世帯でした。時間を切っていろいろな園生に陶芸を体験させてみました。

昭和58年度
 いろいろな面を考慮し、ようやくメンバーを男子2名、女子4名の計6名という形で班活動が始められるようになりました。手動式のタタラーを購入し、一度粘土を手にした状態から板皿の製作を始めました。担当職員は男子1名となりました。

昭和59年度
 機械ロクロによる湯呑み作りがようやく軌道にのり、4、600個もの作品ができ、石膏型に流し込んでの干支土鈴の製作も始めました。

昭和60年度
 桃の土鈴の注文が直方の多賀神社より1、400個あり、初めての大量注文で園生・職員一丸となって作業に取り組みました。鋳込みによるぐい呑みも750個完成することができました。

昭和61年度
 作業の内容については昨年度と殆ど変化はありませんが、一人一人に合った作業の内容を検討し、責任を持って作業を進められるように指導をしました。そのことにより、意欲も出て、少しずつ良い作品が出来るようになりました。

昭和62年度
 今年度、直方商工会議所より12月に行なわれる恵比寿祭りでお神酒の杯として使用するかわらけの注文が7、500枚あり、正直心配していましたが2ヶ月間皆で協力して、どうにか納期に間に合わせることができました。
作業内容を1.電動ロクロによる製作 2.機械ロクロによる製作 3.手動式のタタラーによる製作 4.流し込みによる急須や花瓶をつくる 5.土練機による土作り、と大きく5つに分け園生をそれぞれ適した場所に配置して個人の能力を高める共に作業効率を上げることに重点を置きました。

 昭和63年度
 恵比寿祭りで使用する9、000枚のかわらけを製作しました。初めての試みとして、流し込みによる西洋陶器の製作も実施しました。かわらけのペーパーかけ等も園生がかなり出来るようになりました。

 平成元年度
 陶芸班のエースともいうべきM・Kさんが作業意欲を減退させ、外作業に行きたいと言い出し、説得するのに困ってしまいました。しかし従来通りにかわらけ・西洋陶器の製作に励んでおります。

 平成2年度
 恵比寿祭りのかわらけ8、700枚を無事納品することができました。流し込みによる西洋陶器のコーヒーカップやミルク入れは好評でした。
 園生の皆さんもようやく自分の作業の楽しみが理解できたようです。

 平成3年度
 今年度より職員が2名(男子1・女子1)となりました。しかし、園生も人数が増えた分、その指導の為に時間が取られ、作品製作の実施が少し遅れことは否めません。

 平成4年度
 恵比寿祭りのかわらけとは別に、小竹商工会議所からも注文があり、14、000枚と膨大な量となりました。ビールジョッキを作品として作り始めました。

 平成5年度
 本年度は恵比寿祭りのかわらけ注文6,800枚のほか、転写紙を貼ったタイル100枚、干支土鈴(いぬ)400個、酒壷など注文が入り、いつになく忙しい年でした。園生作品としては、西洋陶器の流し込みに力を入れ食器類や貯金箱など手掛けました。たくさん作品を作った事で売上げが前年度の倍近く上がりました。

 平成6年度
 今年度の担当職員は3名。園生は男子4名 女子6名となりましたが7月中旬より発作の為女子が1名他班へ異動しました。
 かわらけについては直方商工会議所に4、500枚、小竹商工会議所に200枚、干支の土鈴(いのしし)を2、282個完成させ販売することができました。
 学園祭では、展示した作品の殆どが売り切れてしまう程の人気でした。
 この年は北九州市のチューリップ祭り、直方市の土曜夜市、工芸の里まつり、学園祭による作品販売等で1,045,250円もの売り上げを記録しました。

 平成7年度
 石膏型に液状粘土を流し込んで規格製品として花瓶や徳利や一輪ざしなどの作品を作るという作業は園生の皆も工程をスムーズに行えるようになってきました。干支の土鈴(ねずみ)は450個程製作してます。

 平成8年度
 新しい担当者となりましたが、今までの作業を維持して取り組みました。かわらけや干支土鈴製作には慣れない事もあってかなりの時間を要しました。注文販売では直方ローターアクトクラブ様へ湯呑みを250個製作しています。その他干支の土鈴(うし)は382個製作してます。

 平成9年度
 一人一つは独自の作品が作れるように個別指導を行ってきました。それぞれ花瓶や花器、灰皿等が出来るようになりましたが、その中でも花口の皿は販売等で大変好評でした。干支の土鈴(とら)は412個製作しました。

 平成10年度
 今年度も個別指導を重視し、技術の向上を目指して取り組みました。新しい作品としてはワイングラスやデザート皿を作り、学園祭ではほとんど完売という好評を受けています。干支の土鈴(うさぎ)を385個製作しております。

 平成11年度
 大量生産のかわらけは作業はスムーズに流れ、作品つくりの時間が多く取れたので、園生それぞれがゆとりを持って作業が進められました。電動ロクロで成形する作品は陶芸家の先生より作品の厚みや形が良いなど評価を得ています。干支の土鈴(たつ)は465個製作しております。

7.班の資料
  
 年 度
   作 業 内 容
売上高    
昭和56年度
自由製作作品つくり

39,340円
昭和57年度
手びねり作品つくり・石膏型流し込み
電動ロクロ・タタラー
274,244円
昭和58年度
手びねり作品つくり・石膏型流し込み
電動、機械ロクロ・タタラー
193,731円
昭和59年度
手びねり作品つくり・石膏型流し込み・
電動、機械ロクロ・タタラー
829,720円
昭和60年度
手びねり作品つくり・石膏型流し込み・電動、機械ロクロ・タタラー・土鈴つくり
406,100円
昭和61年度
手びねり作品つくり・石膏型流し込み・電動、機械ロクロ・タタラー・型はめ
374,850円
昭和62年度
手びねり作品つくり・石膏型流し込み・電動、機械ロクロ・タタラー・かわらけつくり
656,970円
昭和63年度
手びねり作品つくり・石膏型流し込み・電動、機械ロクロ・タタラー・かわらけつくり
454,000円
平成元年度
手びねり作品つくり・石膏型流し込み・電動、機械ロクロ・タタラー・かわらけつくり
279,300円
平成2年度
手びねり作品つくり・石膏型流し込み・電動、機械ロクロ・タタラー・かわらけつくり
504,500円
平成3年度
手びねり作品つくり・石膏型流し込み・電動、機械ロクロ・タタラー・かわらけつくり
339,800円
平成4年度
手びねり作品つくり・石膏型流し込み・電動、機械ロクロ・タタラー・かわらけつくり
497,740円
平成5年度
手びねり作品つくり・石膏型流し込み・電動、機械ロクロ・タタラー・かわらけ、干支土鈴つくり
820,780円
平成6年度
手びねり作品つくり・石膏型流し込み・電動、機械ロクロ・タタラー・かわらけ、干支土鈴つくり
1,045,250円
平成7年度
手びねり作品つくり・石膏型流し込み・電動、機械ロクロ・タタラー・かわらけ、干支土鈴つくり
1,065,406円
平成8年度
手びねり作品つくり・石膏型流し込み・電動、機械ロクロ・タタラー・かわらけ、干支土鈴つくり
786,580円
平成9年度
手びねり作品つくり・石膏型流し込み・電動、機械ロクロ・タタラー・かわらけ、干支土鈴つくり
644,890円
平成10年度
手びねり作品つくり・石膏型流し込み・電動、機械ロクロ・タタラー・かわらけ、干支土鈴つくり
643,713円
平成11年度
手びねり作品つくり・石膏型流し込み・電動、機械ロクロ・タタラー・かわらけ、干支土鈴つくり
578,320円

8.年度別資料
年  度  
 園 生 数
年度別担当者
 備    考
昭和56年
男子4名 女子6名
 
 藤本
重油窯購入・窯開き  
電動・機械ロクロ購入
昭和57年
男子7名 女子10名
 藤本・西本



昭和58年
男子2名 女子4名

 藤本
手動式タララー購入
昭和59年
男子2名 女子3名

 藤本
注文製作を始める(土鈴など)
昭和60年度
男子2名 女子3名

 藤本
流し込み(型)主体の作業  急須などの製作
昭和61年度

男子2名 女子3名
 藤本



昭和62年度

男子3名 女子3名
 藤本
かわらけ製作開始
7500枚納品
昭和63年度

男子4名 女子2名
 藤本

西洋陶芸開始

平成元年度

男子3名 女子2名
 藤本


平成2年度

男子2名 女子2名

 藤本


平成3年度

男子3名 女子5名

 藤本・浜田



平成4年度

男子3名 女子5名
 藤本・横手


平成5年度

男子3名 女子5名

 藤本・横手
干支土鈴の製作開始

平成6年度
男子4名 女子5名

 藤本・横手・田畑


平成7年度

男子3名 女子3名
 藤本・横手
電気窯購入

平成8年度

男子3名 女子3名

 坂田・矢野



平成9年度

男子3名 女子3名

 川添・坂田



平成10年度

男子3名 女子3名

 川添・坂田



平成11年度 

男子3名 女子3名

 坂田・田邉




まとめ

 陶芸という作業はとても技術を要する作業です。職員も指導をするうえで、技術の習得も必要です。担当として懸命に頑張っています。今後も園生の技術の向上のための指導と新しい作品を作るというチャレンジ精神を持って、作業を進めていきたいと思います。














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